28 室町時代のフィクションー御伽草子

平安時代の物語ーー特に『源氏物語』ーの伝統は、むろまち時代にもまだ忘れられてはおらず、宮廷では注釈書や有名な古典の手引書がつくられ、無教養ながら文化人にあこがれる武士までがそれを読んでいた。

しかし、この時代の代表的なフィクションは短編であり、使われている言葉も、実際に話されていた言葉に近く、描かれている人物は、光源氏の世界の伝統を引きずる宮廷人より、層や武士や庶民であることが多かった。

 

こうした短い物語を、今日では『御伽草子(おとぎぞうし)』と総称しているが、『御伽』とはもともと、主君の傍に侍って、話や歌で主人を楽しませるものを言い、『御伽草子』とは、「お伽がした話」の意味であり、江戸時代初期には『御伽物語』や『新おとぎ』など「御伽」の名が入った多くの草子が刊行された。

それが短編の物語を意味するようになったのは、十八世紀前半、大坂でニ十三篇の物語が『御伽文庫』として出版されてからのことであり、この文庫に含まれる個々の物語が『御伽草子』と呼ばれるようになり、やがて室町時代から江戸時代初期に書かれたフィクションの殆どがこの名でよばれるようになった。

 

過去、御伽草子が研究者にあまり顧みられなかったのは、一つには文体にみるべきものがなかったからで、近年でも、最大の研究努力は、異本の校合と本文の確定に費やされていて、作品そのものの文学的価値を論じたり、それを文学的伝統の中に位置づけたりする作業はあまり進んでいない。

この方面の研究で大きな影響力を持つ市古貞二(1911-2004)は、「公家もの」「武家物」「庶民物」「異国物」「異類物」の六グループを提唱しているが、容易に分類できない場合もあるし、逆にいくつにも当てはまって困る話もあり、またどのグループも話の題材にはかなりの幅があるため、市古は各グループをさらに細分している。

転寝草子』は、室町時代物語(お伽草子)の一つだが、或る大臣の姫君が、うたた寝の夢の中で出逢った貴公子を忘れられず、恋の病に臥してしまうが、石山観音の霊験によってその男性(左大将)と結ばれる、という筋である。

『転寝草子』の作者は、『源氏物語』に多くを負っていることを隠そうとはしないが、スケールが小さいというだけの問題ではなく、紫式部と違い、男女主人公の描写にもっともありふれた表現しか使われていない。

 

公卿物には意地悪な継母の話が多く、奈良絵本として伝わる『一本菊(ひともとぎく)』もその一つで、兄妹二人の被害者を登場させる点で特異であるが、平安風を装いながらも、この作品には清水寺の観音に詣でる場面などがあって、むろまち時代の作品であることが歴然としている。 同じジャンルの『岩屋』には、一層憎々しい継母が登場するが、ほとんどの御伽草子と比べてはるかに文学性が高く、主要人物の描き方に説得力があるだけでなく、ちょっとした脇役のなかにも、読者の心に印象を残す人物がいたりして、モデルとなる平安時代の物語があったかも?

 

公卿ものには、小野小町や和泉式部など、平安時代の実在の人物を扱った作品もあり、どちらも肉欲の強い女性として描かれているが、ことに式部はわが子と知らず道命法師と恋をすることになっている。

主人公が火宅を逃れ、仏門に入ることで終わる話は多いが、結末に仏教色が多いのは、御伽草子の特徴のひとつともいえるが、和泉式部は仏門に入ることなど考えていなかっただろが、近親相姦という衝撃的な事実に直面して、最後の一歩を踏み出さずにはを得なかった。(20230918)

送料物の中では、、市古貞次(1911-2004)の云う「稚児物語」と「発心遁世談」が文学的に特に重要であるが、稚児物語の最後では、しばしば、、その少年が実は仏の化身だったと明かされが、僧を解脱の正道に導くため、仏が仮の姿でこの世に現れたのだとされる。

稚児物語の中では、『秋夜長物語』が最も有名であり、鎌倉末期か室町初期の作品とされ、僧侶と稚児との男色を主題とするのだが、平安後期の僧、学識と芸術の才で知られた瞻西(せんさい)上人を扱っているのだ。

 

『松帆浦物語』では、ある法師と少年の仲が、少年に横恋慕した宰相の息子によって引き裂かれ、邪魔な法師を淡路島に流すが、少年は法師以外の愛には応えず、かえって法師の後を追って都を逃げ出し、ようやく淡路島に到着すると、法師はすでに死んでいた。

稚児物語の表現は概して詩的で、御伽草子と言うより王朝物語に近く、『鳥部山物語』の一節には、稚児物語に特徴的な雰囲気があり、平安時代の古典を彷彿とさせる表現が、次から次に現れる。

 

『幻夢物語』も、少年(花松)に恋する幻夢という僧の話で、首尾よく父の敵を討った花松も討ち死にしてしまい、これを知った幻夢は高野山へ登り、恋人の冥福を祈るのだが、花松の一周忌が来ると、若い僧も熱心に念仏を唱えるのだが、それが花松を殺した当人なのであるが、この花松は、二人を救うために現れた文殊菩薩の化身だったという。

発心遁世談のなかで、優れているのは『三人法師』で、恋女房が惨殺されて出家したという第1話と、年末に女房に責められ高貴な女を襲い殺して戻ると、女房はその女の髪まで切りに出かける、業(ごう)の深さに感じて発心したという第2話があり、妻の死と遺児のことを耳にすると高野山に登ったという第3話となるが、最初の庭とは関係ない。

英雄による怪物退治は、『古事記』にあるスサノオの大蛇退治までさかのぼるが、御伽草子としては、後世に長く人気があったという天でも、後の文学に影響を与えたという点でも、まず『酒呑童子』をあげなければならい。

鬼退治の6人は、源頼光以外もそれぞれ名のある武士であり、別の話の主人公になっていたり、独自に怪物を退治していてたりするが、もちろん、怪物退治で名を馳せた豪傑はこの6人以外にもいて、例えば「俵藤太物語』は大百足を維持する話である。

 

源平合戦の英雄やその子孫を扱った武家物は、怪物退治談よりいっそう魅力的で、文学的価値も大きく、中でも特筆すべきは、『横笛草紙』と『小敦盛』で、『横船草紙』の主人公は滝口という武士だが、これは合戦や鬼退治の話ではない。

『小敦盛』も「平家物語」に取材しているが直接の関連がなく、若い平敦盛が熊谷直実の殺されるくだりは『平家物語』でもとくに有名で、能の『生田敦盛』同様、敦盛の子の物語であるが、敦盛の死後に都で生まれた若君は法然上人(ほうねんしょうにん)に養われていた。

 

見ぬ父恋しさに賀茂明神(かものみょうじん)に祈願すると、夢想を被(こうむ)り、古戦場の生田(いくた)の森で父の亡霊に会うことができたが、その場に残された白骨を抱いて都へ帰った若君は、母とともに出家して菩提(ぼだい)を弔った。

この物語が感動的なのは、細かな描写の一つ一つがー例えば雨に濡れた息子の服を敦盛が着替えさせるとこなどがー無理なく信じられ、読者の胸を打つからであるが、一般に御伽草子には人間的感情を随所に垣間見せるものが多い。

 

『平家物語』の英雄の一人、源義経を登場させる御伽草子も多く、その中では『浄瑠璃十二段草紙』が最も知られ、奥州へ逃れようとする義経と浄瑠璃御前殿との恋を描いており、お伽文庫に含まれている『御曹司島渡り』もやはり義経の物語である。

武家物としては、もう一つ、『あきみち』があり、盗賊に父を殺された「あきみち」が、妻の貞操を犠牲にして敵討をする物語なのだが、典型的な復讐談とは異なり代償として妻と社会的地位を失った。

「御伽文庫」第一話の『文正草子』は、常陸国の鹿島大明神の大宮司に仕えていた文太は、ある日突然勘当され、その後塩焼として財産をなして「文正つねおか」と名乗る長者となり、後に鹿島大明神の加護で2人の美しい娘を授かるが、ある日姉は旅の商人と結ばれてしまうが、その商人は姉妹の美しさを伝え聞いた関白の息子である二位中将の変装であった。

姉は中将に伴われて上洛すると、今度はその評判を聞いた帝によって文正夫妻と妹が召し出され、妹は中宮となり、姉も夫の関白昇進で北政所となってそれぞれ子供に恵まれ、宰相に任ぜられた文正とその妻も長寿を保ったといい、物語は、「めでたきことの始めには、この草子を御覧じあるべく候ふ」と説いて終る。

 

猿源治草子』は、「伊勢国の阿漕が浦の猿源氏が鰯買うふゑい」と売り歩いて大変な金持ちになったある日、都でいちばんの遊女蛍火(けいか)に一目ぼれし、平安文学の知識で乗り超え成就する。

猿源氏が歌の道に造詣が深かったからに他ならないかもしれないが、「かへすがへす、他人ごとに学び給ふべきは、歌の道なるべし」と言って物語は終わり、やはり夢物語ではあるが、鰯売りの人間でも裕福になることができるのだ。

 

御伽草子には、日本で初めての子供向けの話も含まれており、この側面も忘れてはならないけれど、例えば、竜宮城に数日いたつもりが、日本に戻ってみると、一生を海の中で過ごしていたと知る『浦島太郎』、背丈が一寸しかないのに英雄になった『一寸法師』、男に救われた鶴がその妻になって恩返しをする『鶴の恩返し』などである。

御伽草子は様々な素材を利用しており、未だに出典が不明なものもあり、また成立後の御伽草子は、それ自身が後世の文学や戯曲の素材となっており、そのジャンルは長い間学者に軽視されてきたが、今後さらに新しい御伽草子が発見され、室町時代のフィクションについていっそう豊かな知識を与えてくれることも期待できるだろう。