13『源氏物語』以後の王朝物語

 

平安末期から、鎌倉時代にかけて書かれた王朝貴族を主人公にした物語を『擬古物語』と呼び、それ以前の王朝物語と異なり、擬古物語は、宮廷が自他共に求める、日本文化の中心だったころの過去に舞台を設定している。

『無名草子』は1200年頃に書かれた日本最古の文芸批評で、文学好きの女房が何人か集まり、それぞれの愛読書について語り合うという形式をとっているが、『源氏物語』の次に、最も注目しているのは『狭衣物語』である。

 

その欠点を分析する女房の指摘も鋭く、取り立てて心にしみることがないこと、話の展開にも登場人物の描写にも役立たない箇所が多々あること、唐突に神のお告げで狭衣が帝位につくことの不自然さなど。 『狭衣物語』は、おそらく、最初から単一の物語として構想された日本最初の長編フィクションでもあるが、ほとんどの伝本は四巻からなり、それぞれが優美な書き出しで始まっていて、その四巻で三つの(源氏宮・飛鳥井姫・女二宮)恋愛事件を語っている。

 

狭衣は関白で天皇の甥であり、最高の家柄に生まれた貴公子である上に、並外れた美貌と知性にも恵まれていると作者は強調しそれにもかかわらず、いとこの源氏宮に対する狭衣の恋は、最後まで報われない。 『狭衣物語』は白居易の詩の引用で始まり、誰が誰を恋うのかも明らかにしないまま、いきなり、狭衣が源氏宮に抱く恋心を語りだし、実際は何人かの女性と恋愛関係になるにしても、源氏宮への想いが邪魔になって、ほかの誰といても幸せになれない。

【追伸】

この物語には、飛鳥井姫の周りに起こる、近代小説に登場してもおかしくない庶民の人間臭さがある。(20211108)

 

『無名草子』の女房たちが次に高く評価している物語は、『夜の寝覚』で、「寝覚」という言葉からは、恋人に会えない不安で寝付かれず、悶々と夜を過ごす女性が想像されるが、この作品では、女主人公の呼び名として使われていて、この女性も、やはりいろいろな心配事から、よく眠れないのだ。

完成した作品は、もとは四部からなっていて、『源氏物語』の半分程度の長さだったらしいが、いつのころにか第二部と第四部が失われ、今日伝わっているのは全体の半分にも満たないが、後世の翻案や改作から概略は再構成できるものの、完全に失われた部分も多く、現存の二部に基づいて論じるより仕方がない。

 

女性を中心に据えた作品には、『竹取物語』や『落窪物語』などの先例があるが、成熟した手法で女性の施行や感情を扱った物語はこれが初めてで、またほとんどの前代の物語と異なり、『夜の寝覚』には派手な動きがなく、『狭衣物語』が登場人物の行動を詳しく描いて、その思考にほとんど立ち入らないのと対照的である。 しかもこの『夜の寝覚』には、「寝覚め」の夫においt、自分の子でないことを承知の上で、その子をかわいがり育てる場面において、『エフゲーニー・オネーギン』のタチャーナとグリョーミン侯爵を想い出し、すべての障害が取り除かれたにもかかわらず、『寝覚」が恋人の申し出を拒絶する場面では、『クレーヴの奥方』を思わせるのだ。

 

『夜の寝覚』の第三部は、おそらく文学的にもっともすぐれた部分であるが、約二百ページもある話の間、ほとんど何も起こらず、たまに起こる出来事も、古物語はもちろん、『源氏物語』と比べてさえ少しも劇的でなく、おそらく現代の読者にとっての魅力は、その主観的・内省的側面にあり、ほんの些細な行動が、寝覚や内大臣(恋人)、時には帝から複雑な反応を引き出す。 『夜の寝覚』は、現在の不完全な形のままでも心に深くしみる物語であり、登場人物は、何をしたかではなく、何を考えたかで読者の心に刻み込まれ、その意味で、物語としてはー宮廷社会の描写の中にすべてを包み込むスケールの大きさや、細部の豊さには欠けるもののー『源氏物語』をさえ上回ると言える。(20211115)

『夜の寝覚』を菅原孝標女咲くと断定した定家筆本『更級日記」の奥書には、『浜松中納言物語』も同女の作と書かれており、もとは「みつの浜松」と呼ばれていたらしく、ほかの古い資料でもそうなっており、主人公の中納言が詠んだ次の歌からとられた題名である。

 

日の本のみつの浜辺こよひこそ我を恋ふらし夢に見えつれ

 

近年、『更級日記』と『浜松中納言物語』の比較分析が行われ、どちらの作品でも夢が重要な働きを果たしていることなど、孝標女作者説を裏付ける結果が得られており、孝標女を『夜の寝覚』の作者だとは認めない学者も、『浜松中納言物語』の作者であることには異論がないようである。

 

『浜松中納言物語』は、特に粗筋を紹介するほどの作品ではないが、夢と転生というテーマはなかなか興味深いが(三島由紀夫はこれに触発されて『豊饒の海』四部作を書いた)、読者がテーマに抱く期待は、作品自体によって裏切られる。

中納言が渡唐して、かの地で盛大な歓迎を受けるさまは、なかなk飲み物であり、作者が唐について持っていた知識は、標準的な漢詩集や渡来の美術品の域を出なかったようだが、異国趣味の明細な描写は当時の日本人読者を喜ばせたであろう。

 

『浜松中納言物語』は、物語としては不出来とは言えないが、当時の日本人が雲化先進国到抱いていた複雑な感情の一端をうかがわせて興味深く、空海と恵果和尚の出会いを想い出す読者がいるかもしれないが、作品の最後では、中納言の父親の生まれ変わりがいずれ唐皇帝になるとまで記されているのだ。

一人の唐の皇子が中納言に忠告する場面があり、日本人が唐で生涯を過ごすのは適当でないと言い聞かせる場面があり、これは、実際に唐に留学していた日本人学僧が等しく抱いた思いだったようで、多くは師の学識や唐の寺院のすばらしさを敬いながらも、心の中では絶えず帰国を願い続けたものであり、文学作品としては欠陥があるものの、文化資料としての意義は認められる。(20211122)

とりかへばや物語』がいつ頃成立した作品化ということは難しいけれど、『無名草子』の記述から、『古とりかへばや』と『今とりかへばや』の二種類あったことが知られるが、現存するのは『今とりかへばや』だけである。

物語の題名は「取り替えたい」の意味で、男女二人の子の行動が逆転しているのを見て、父左大臣が思わず発した言葉からとられているのだが、兄はおとなしく内気で、いつも几帳の陰に隠れては、人形遊びをしている。

 

いっぽう、妹のほうは、蹴鞠をしたり漢詩を作ったりという男の活動が何より好きで、父親が二人の性格を取り替え、兄には男らしく、妹には女らしく振舞わせたいと考えたのも無理はないのだが、左大臣がいくら嘆いても、もって生まれた性格は変わらない。

性格だけでなく、兄妹の性的嗜好も逆転していれば、この物語はもっと面白くなっていたかもしれないが、平安宮廷の頽廃を心理的に描いた作品になっていないのは残念だが、ジェンダーの視点からも再評価される。

 

平安時代後期以降に成立した短編物語集が、『堤中納言物語』で、10編の短編物語(逢坂越えぬ権中納言・花桜折る中将・虫愛づる姫君・このついで・よしなしごと・はなだの女子ご・はいずみ・ほどほどの懸想・貝合わせ・思はぬ方にとまりする少将)および1編の断片からなる。

 

物語の中では、「虫愛でる姫君」が傑出しているが、社会の慣習に反し、平安の宮廷婦人に期待される振る舞いを破る女性を描いた、12世紀の日本の物語なのだが、全体としては貧弱な作品群であり、暇を持て余した女房などの手になったものと想像される。(20211129)