六 蕉門の門人

芭蕉にとっては、おそらく最初の門弟だった宝井其角(1661-1707)は、師の病気を知らずに尾坂へ行き、図らずも師の死に水をとることになったのであるが、死の床に横たわる芭蕉を描いた彼の感動的な作品『枯尾花』の中で、其角は、そのころ芭蕉の弟子が全国に二千人以上もいたと書いている。

芭蕉への尊崇の念は、多分に彼の「慈悲あまねき心操」に追うものではあったが、彼がそれほども参拝者を集め得たのは、何よりも彼が、当代に並びなき大詩人として、誰一人異議をさしはさむ余地はないが、彼の門からは、優れた俳人が輩出したけれど、「この道や行人なしに秋の暮」の句には、晩年に達した芭蕉の、ともに我が道を歩むもののない憂いがこめられている。

 

蕉門の俳人の中で、最も個性が強いのは其角であり、師のもとで修業した期間の長さにもかかわらず、あるいは二十年にもわたる芭蕉との親交にもかかわらず、其角の句は明らかに彼自身のものであり、単純に芭蕉の風を追うものではない。

其角は医者の子で、はじめのうちは医者になる修行もしたが、漢詩や画や書についても一流の教育を受けており、わずか十四、五歳で芭蕉の門に入ったのだが、その時すでに自らの教養を使いこなす機知、技巧を備えていた。

 

其角の句は、一見して非常に詩風から離れているように見えるものでも、やはり明らかに芭蕉の影響下にあり、師の死後の彼の句は、もはや師に憚ることがないため、かえってその質が低下しているところもあり、言わんとすることの焦点がぼけたばかりでなく、全く意味の取りかねる句さえあり、謎が解け、意味が分かってもそこまでで深みのあるものではないが、芭蕉生前の彼の句は、非常に高く評価されていた。

其角の業績の最大のものは、彼自身と同じ階級に属する人々、つまり江戸の医者・儒者、あるいは武家や町人の中の知識人の心に俳諧への関心を目覚めさせたことだろうが、将軍綱吉の保護のもとで、当時の儒者たちは極めて高い社会的地位を与えられていたが、漢語を使ったり古い漢詩文の教養を踏まえた其角の句は、そのような知的俗物たちに、俳諧が必ずしも卑賤な座でないことを教えたことと思われる。

 

其角の才知は、特に当時の人々によく知られた素材に取材した場合などにいかんなく発揮され、一時的には市の芭蕉をしのぐほどの人気を獲得する理由にさえなったが、彼の句の中にはたとえ完全に意味を知り得なくても、同様や俗謡のように口ずさみやすいものがあり、その点も多くの人に愛される原因であったが、凝りすぎのあまり意味が不分明になることが多かったのは否定できない。

其角の句中最もよく知られているのは、彼一流の難解さに災いされない次の句であろうー切られたる夢は誠か蚤の跡ー去来はこの句を評して、「其角は誠に作者にて侍る。わずかに蚤の句いつ来ること、たれかかくは謂いつくさん」と、蚤のくい跡を巧みに詩化した其角を絶賛しており、『去来抄』によると、その時芭蕉も去来の評に応えて「しかり、彼は定家の卿也。さしてもなきことを、ことごとしくいひつらね侍る」

去来は、芭蕉が説いた俳諧の心得の中でとりわけ「不易流行」に心服して、良い発句は、笛木と流行の両面を備えていなければならないし、単なる機知一瞬のひらめきではなく、永遠にわたってかっわることのない感動を与えるべきものだ。

去来はしかし、其角には流行がないと言って攻める場合など、不易流行の意味を師が使ったよりもっと狭い意味に解釈して、其角の句は、確かに瞬間の情景を掴んだあ多いのだが、去来は其角が「軽み」を旨(むね)としていないと言って批判している。

 

去来が絶対的と言える程に芭蕉に心酔していたのは事実であるが、時には自分の主張の裏付けにしたいばかりに。知らず知らずのうちに詩の言葉を曲解して使う罪を犯しており、去来に限らず、芭蕉の弟子たちは、しきりに市の言葉をわが有利に解釈しては、童門批判の口実にしたのだった。

師の芭蕉が健在のころには、わたし(去六)は、さほど流行、不易を心にかけなかったが、一句がなればそれを師に示し、よい句はよい句、駄作は駄作、師に褒められた場合も、ことさら流行や不易を心がけたわけでもなく、事情は、師の死後も同じで、わたしは特に流行不易を金科玉条とは思わない。

 

許六の句は、現在ではほとんど人々に感動を与える力を失っているが、彼の俳論、特に「俳論問答」(1697)の説得力は、今日なお芭蕉の高弟としての彼の地位を不動のものにしており、彼はまた実質的には最初の俳文集である「風俗文選」(1705)を編纂したことでも知られている。

風俗文選』は、許六の作品の中で、最も長く記憶されるべきものであり、それはそれは最初の俳文集であったばかりでなく、その内容の質においても、最良の俳文集であり、それはひとり俳文にとどまらず、広くその後の日本の散文の上にも深い影響を遺したものであった。