大山守皇子と菟道稚郎子

知波夜夫流(ちはやぶる)宇遲能和多理邇(うぢのわたりに)佐袁斗理邇(さをとりに)波夜祁牟比登斯(はやけむひとし)和賀毛古邇許牟(わがもこにこむ)『大山守 古事記歌謡50』

 

知破揶臂苔(ちはやひと)于旎能和多利珥(うじのわたりに)佐烏刀利珥(さをとりに)破揶鶏務臂苔辭(はやけむひとし)和餓毛胡珥虛務(わがもこにこむ)『大山守 日本書紀歌謡42』

 

記(応神)の説明では、「大山守(おおやまもり)が宇治川の中ほどに渡って来た時に、船頭(宇遅能和紀郎子)はその船を傾けさせ、大山守を水の中に落とし入れてしまった。 ところが間もなく水面に浮かび出て、水の流れに従って流れ下った。 そして流れながら歌った」とある。

 

紀(仁徳)の説明は、「太子(菟道稚郎)は粗末な麻の服をつけられて、こっそりと渡し守にまじられ、大山守皇子(オオヤマモリノミコ)を船に乗せて漕ぎ出された。 河の中程に至って、渡し守に船を転覆させられた。 大山守皇子は河にはめられてしまった。 水に浮き流れながら歌った」とある。

 

《記において》

【知】[音]チ(呉)(漢)[訓]しる

【波】[音]ハ(呉)(漢)[訓]なみ

【夜】[音]ヤ(呉)(漢)[訓]よ・よる

『夫』の字には少なくとも、夫(ブ)・ 夫(フウ)・ 夫(フ)・ 夫(それ)・ 夫(おとこ)・ 夫(おっと)の6種の読み方が存在する。

【流】[音]ル(呉)リュウ(リウ)(漢)[訓]ながれる・ながす

【宇】[音]ウ(呉)(漢)

『遅』の字には少なくとも、遅(チ)・ 遅い(おそい)・ 遅れる(おくれる)・ 遅らす(おくらす)の4種の読み方が存在する。

【能】[音]ノウ(呉)[訓]あたう・よく・よくする

【和】[音]ワ(呉)カ(クヮ)(漢)オ(ヲ)(唐)[訓]やわらぐ・やわらげる・なごむ・なごやか・あえる・なぐ・なぎ

【多】[音]タ(呉)(漢)[訓]おおい

【理】[音]リ(呉)(漢)[訓]おさめる・きめ・ことわり

『邇』の字には少なくとも、邇(ニ)・ 邇(ジ)・ 邇い(ちかい)の3種の読み方が存在する。 【佐】[音]サ(呉)(漢)[訓]たすける・すけ

『袁』の字には少なくとも、袁(オン)・ 袁(エン)の2種の読み方が存在する。

『斗』の字には少なくとも、斗(トウ)・ 斗(ト)・ 斗(ツ)・ 斗(シュ)・ 斗(ます)・ 斗(ひしゃく)の6種の読み方が存在する。

『祁』の字には少なくとも、祁(チ)・ 祁(ジ)・ 祁(シ)・ 祁(ケ)・ 祁(ギ)・ 祁(キ)・ 祁んに(さかんに)・ 祁きい(おおきい)・ 祁いに(おおいに)の9種の読み方が存在する。

『牟』の字には少なくとも、牟(モ)・ 牟(ム)・ 牟(ボウ)・ 牟る(むさぼる)・ 牟く(なく)の5種の読み方が存在する。

【比】[音]ヒ(呉)(漢)[訓]くらべる・ころ・たぐい

【登】[音]トウ(呉)(漢)ト(慣)[訓]のぼる

【斯】[音]シ(呉)(漢)[訓]これ・この・かく

【賀】[音]ガ(呉)

【毛】[音]モウ(呉)[訓]け

『古』の字には少なくとも、古(コ)・ 古(ク)・ 古す(ふるす)・ 古い(ふるい)・ 古(いにしえ)の5種の読み方が存在する。

『許』の字には少なくとも、許(コ)・ 許(ク)・ 許(キョ)・ 許す(ゆるす)・ 許(もと)・ 許り(ばかり)の6種の読み方が存在する。

 

《紀において》

【破】[音]ハ(呉)(漢)[訓]やぶる・やぶれる・われる

【揶】[音]ヤ(呉)(漢)

・臂:[音]ヒ(呉)(漢)

・苔:[音]タイ(漢)

・于:[音]ウ、ユ(呉)ウ(漢)

・旎:[音]ジ(外)

【利】[音]リ(呉)(漢)[訓]きく・とし

『珥』の字には少なくとも、珥(ニョウ)・ 珥(ニ)・ 珥(ジョウ)・ 珥(ジ)・ 珥(みみだま)・ 珥む(さしはさむ)の6種の読み方が存在する。

・烏:[音]ウ(呉)オ(ヲ)(漢)

・刀:[音]トウ(タウ)(呉)(漢)

【鶏〔鷄〕】[音]ケイ(呉)(漢)[訓]にわとり・とり・かけ

『務』の字には少なくとも、務(モウ)・ 務(モ)・ 務(ム)・ 務(ボウ)・ 務(ブ)・ 務める(つとめる)・ 務まる(つとまる)・ 務る(あなどる)・ 務り(あなどり)の9種の読み方が存在する。

『辭』の字には少なくとも、辭(ジ)・ 辭(シ)・ 辭める(やめる)・ 辭る(ことわる)・ 辭(ことば)の5種の読み方が存在する。

【餓】[音]ガ(呉)(漢)[訓]うえる・かつえる

【胡】[音]ゴ(呉)コ(漢)ウ(唐)[訓]えびす

『虚』の字には少なくとも、虚(コ)・ 虚(キョ)・ 虚しい(むなしい)・ 虚(うろ)・ 虚ろ(うつろ)・ 虚ける(うつける)の6種の読み方が存在する。

 

「同じ句数ですから、事記と書紀の歌謡を合わせればいいのですね」

 

知波夜夫流 宇遲能和多理邇 佐袁斗理邇 波夜祁牟比登斯 和賀毛古邇許牟

知破揶臂苔 于旎能和多利珥 佐烏刀利珥 破揶鶏務臂苔辭 和餓毛胡珥虛務

 

「【夫流と臂苔】、【比登と臂苔】なのだが、【苔】は(と)と訓み、何の注釈も要らないであろう」

 

古事記の(ちはやぶる)は、荒々しい「氏(うぢ)」ということから、地名「宇治(うぢ)」にかかり、日本書紀も、(ちはやひと)と訓む限りは、何の注釈も必要ないというのだ。

 

ちはや-ひと 【千早人】:威勢の強い人の意で、「氏(うぢ)」のほめ言葉とされ、「氏」と同音の「宇治(うぢ)」にかかる。

 さを 【棹・竿】:(船を進める)さお。水棹(みさお)。

はや【早】:すみやかに。一刻も早く。

けむ:…ただろう。…だっただろう。

し《接続》体言、活用語の連用形・連体形、副詞、助詞などに付く。〔強意〕

もこ【婿】:1 相手。仲間。2 「むこ(婿)」に同じ。

 

道速振る(千早人) 宇治の渡りに 竿取り(救助)に 速けむ人し 吾が婿(跡目)に来む

 

『苔』の字には少なくとも、苔(ダイ)・ 苔(タイ)・ 苔(こけ)の3種の読み方が存在する。

 

「どうして、【苔】を(と)と訓んだのでしょうか?」

「推察だが、『魏志倭人伝』からきているかもしれない」

「『魏志倭人伝』と言えば、卑弥呼の邪馬台国ですが・・・」

 

現存する『三国志(魏志倭人伝)』の版本では「邪馬壹國」と書かれている。

『三国志』より後の5世紀の『後漢書』倭伝現存刊本では「邪馬臺国」である。

 

【壱〔壹〕】:[音]イチ(呉)イツ(漢)[訓]ひとつ

【台〔臺〕】:[音]ダイ(呉)タイ(漢)[訓]うてな

 

「つまり、卑弥呼の国は倭国であり、この【ヤマト】だということだ」

「でもそれでは、【苔】ではなく【台】にすべきでしょう」

 

『薹』の字には少なくとも、薹(ダイ)・ 薹(タイ)・ 薹(とう)・ 薹(あぶらな)の4種の読み方が存在する。

 

「ここでまさかの、留学僧・漢学者・遣唐使たちの間で、(ヤマタイコク)と(ヤマトノクニ)の論争が起き、【薹】の誤字として全面に押し出すつもりが、ここで【苔】にしてしまったというわけだ」

「それはそれで、邪馬苔国にならなくてよかったけれど、『古事記』は応神記にあり、『日本書紀』は仁徳紀にあるのが気になります」

「おそらく、大山守のことより、菟道稚郎の存在が大きく関係しており、次の歌謡に秘密があるのかもしれない」

 

【追伸】

臺與(台与、とよ)(235年 - 没年不明)、あるいは壹與(壱与、いよ)は、日本の弥生時代3世紀に、『三国志 (歴史書)・魏志倭人伝』中の邪馬台国を都とした倭の女王卑弥呼の宗女である。

「臺」を「と」と読む根拠は、例えば藤堂明保『国語音韻論』に、「魏志倭人伝で、『ヤマト』を『邪馬臺』と書いてあるのは有名な事実である」と記載されていることに求められているが、これはすなわち「邪馬臺=ヤマト」という当時の通説に基づいた記述に過ぎないとする指摘がある。

もしこの意見が妥当なら、漢和辞典の記載を根拠に「『邪馬臺』はヤマトと読める、『臺與』はトヨと読める」と言ったところで、大元にある通説の同義反復に過ぎないことになるが、「臺」の発音に関する中国語音韻論による議論はこの意見とは無関係である。

 

はじめはじめは「倭」と書いたが、元明天皇の治世に国名は好字を二字で用いることが定められ、倭と同音の好字である「和」の字に「大」を冠して「大和」と表記し「やまと」と訓ずるように取り決められた。

 

帝紀および上古の諸事を記し校定させられた、その代表が、大山上の中臣連大嶋(?-693:飛鳥時代の貴族・漢詩人)だと思う。

そしてその夫人は、「比売朝臣額田」(ひめのあそみぬかだ)であり、彼女が額田王なら、そのアドバイスをしたことに違いない。

 

「『邪馬壹國』を誤写として、『邪馬臺國』にすれば、ヤマトとは訓めないであろうか?」

「それでは”ヤマタイコク”であり、無理だと思いますが、草冠がつけ同じタイでも、薹(とう)とも訓めます」

「それだ、それこそ神武天皇ともつながる(ヤマト)であり、これで我が大和朝廷ともつながる」

「お言葉ですが、万葉仮名としてなら、いかなる漢字でも、【ト】と訓めばいいでしょう」