壬申の乱

天智10年12月3日(672年1月7日)、天智天皇は近江大津宮(滋賀県大津市)で崩御され、11日、新宮で殯(御廟野古墳は、京都府京都市山科区)した(宝算46)。(大友24・十市19・額田35・大海人62)

 

【天皇の聖躬(せいきゆう:天子のカラダ)不予(病気)の時、大后(倭姫王)の奉る御歌一首】

天原(あまのはら)振放見者(ふりさけみれば)大王乃(おほきみの)御壽者長久(みいのちはながく)天足有(あまたらしたり)【万147】

 

『者』の字には少なくとも、者(シャ)・ 者(もの)の2種の読み方が存在する。

【者】の漢詩的訓:は。とは。ば。…れば。強調や仮定の条件を表す助字。

『御』の字には少なくとも、御(ゴ)・ 御(ゲ)・ 御(ギョ)・ 御(ガ)・ 御(み)・ 御(おん)・ 御める(おさめる)・ 御(お)の8種の読み方が存在する。

『壽』の字には少なくとも、壽(ス)・ 壽(ジュ)・ 壽(シュウ)・ 壽しい(ひさしい)・ 壽(とし)・ 壽ぐ(ことほぐ)・ 壽(ことぶき)の7種の読み方が存在する。

み‐とし【▽御年】:穀物、特に稲。また、稲作。(暦の)年。年数。年月。

天足らしたり:天に生命力が満ち満ちている様子。

 

あまのはら ふりさけみれば おほきみの みとしはながく あまたらしたり

 

【近江天皇聖体不予、御病急(には)かにある時、大后の奉献たてまつる御歌一首】

青旗乃(あをはたの)木旗能上乎(こはたのうへを)賀欲布跡羽(かよふとは)目尓者雖視(めにはみれども)直尓不相香裳(ただにあはぬかも)【万148】

 

『直』の字には少なくとも、直(チョク)・ 直(チ)・ 直(ジキ)・ 直(ジ)・ 直(ひた)・ 直る(なおる)・ 直す(なおす)・ 直ちに(ただちに)・ 直(すぐ)・ 直(じか)・ 直(あたい)の11種の読み方が存在する。

『尓』の字には少なくとも、尓(ジ)・ 尓(シ)・ 尓(ギ)・ 尓(キ)の4種の読み方が存在する。

じ【爾】([音]ジ(漢)ニ(呉)[訓]なんじ・それ・その)の異字体。

あに【豈】1 あとに推量を表す語を伴って、反語表現を作る。どうして…か。      

               2 あとに打消しの語を伴って、強い否定の気持ちを表す。決して…ない。

『不』の字には少なくとも、不(ホツ)・ 不(ホチ)・ 不(ブチ)・ 不(ブ)・ 不フツ・ 不(フウ)・ 不(フ)・ 不(ヒ)・ 不(…ず)の9種の読み方が存在する。

『相』の字には少なくとも、相(ソウ)・ 相(ジョウ)・ 相(ショウ)・ 相ける(たすける)・ 相(さが)・ 相(あい)の6種の読み方が存在する。

不相:アハジ

 

あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども あにあはずかも

 

【天皇の崩(かむあがり)後之時、大后の御作歌一首】

人者縦(ひとはよし)念息登母(おもひやむとも)玉蘰(たまかづら)影尓所見乍(かげにみえつつ)不所忘鴨(わすらえぬかも)【万149】

 

天智天皇の皇后である倭姫王(やまとひめのおおきみ、生没年不詳)は、舒明天皇の第一皇子・古人大兄皇子の娘なのだが、大化元年9月12日(645年10月7日)、その父が、謀反の罪で中大兄皇子(天智)に誅されたとする説があるのだ。

その一方で、大海人皇子の進言により、天智天皇崩御後に倭姫王の即位または称制があったとする説もある。

 

【天皇崩時婦人作歌一首 姓氏未詳】

空蝉師(うつせみし)神尓不勝者(かみにあへねば)離居而(はなれゐて)朝嘆君(あさなげくきみ)放居而(はなれゐて)吾戀君(あがこふるきみ)玉有者(たまならば)手尓巻持而(てにまきもちて)衣有者(きぬならば)脱時毛無(ぬくときもなく)吾戀(あがこふる)君曽伎賊乃夜(きみぞきぞのよ)夢所見鶴(いめにみえつる)【万150】

 

ふか‐ち【不可知】:人知では知ることができないこと。

き-ぞ 【昨・昨夜】:昨日。昨夜。

 

【吾戀 君曽伎賊乃夜 夢所見鶴】と、歌った婦人こそ十市皇女であり、その君というのは、大友皇子だと思う。

父:天智天皇を失った大友の消沈は、かつて漢皇子(大海人皇子)の父:高向王を亡くした時の額田王と同じような心情であり、母と娘の共同の作歌だったかもしれない。

 

うつせみし かみにふかちは はなれゐて あさなげききみ はなれゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて きぬならば ぬくときもなく あがこふる きみぞきぞのよ いめにみえつる

 

しかし、この歌が十市皇女の歌であることが深まれば、壬申の乱における、大友皇子を追慕した歌にもなる。

 

 そして【天皇大殯之時歌二首】とあり、その一首目が額田王の歌である。

如是有乃(かからむと)懐知勢婆(かねてしりせば)大御船(おほみふね)泊之登萬里人(はてしとまりに)標結麻思乎(しめゆはましを)【万151】

 

かから-・む 【斯からむ】:こうなるだろう。

しめ【標】 結(ゆ)う:出て行くのを止める意にも用いる。

 

その二首目が、舎人吉年(とねりのきね、生没年未詳)だが、舎人氏出身の、おそらく女官であったと思われる。

 

八隅知之(やすみしし)吾期大王乃(わごおほきみの)大御船(おほみふね)待可将戀(まちかこふらむ)四賀乃辛埼(しがのからさき)【万152】

 

【天皇の大殯(おほあらき)の時 大后の御歌一首】

鯨魚取(いさなとり)淡海乃海乎(あふみのうみを)奥放而(おきさけて)榜来船(こぎくるふね)邊附而(へつきて)榜来船(こぎくるふね)奥津加伊(おきつかい)痛勿波祢曽(いたくなはねそ)邊津加伊(へつかい)痛莫波祢曽(いたくなはねそ)若草乃(わかくさの)嬬之(つまの)念鳥立(おもふとりたつ)【万153】

 

いさな-とり 【鯨取り】:いさな(=くじら)を捕る所の意から、「海」「浜」などにかかる。 へ 【辺・方】:海辺。海岸。

おきつ‐かい【沖つ櫂】:沖をこぐ舟の櫂。

いたく 【甚く】:うまく。

な~そ(な…そ):どうか~しないでくれ は・ぬ

【撥ぬ・跳ぬ】:勢いよく上げる。跳ね上げる。

わかくさ-の 【若草の】:若草がみずみずしいところから、「妻」「夫(つま)」「妹(いも)」「新(にひ)」などにかかる。

 

いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎくるふねよ へにつきて こぎくるふねよ  おきつかい いたくなはねそ へのつかい いたくなはねぞ わかくさの つまのおもひぞ とりのたつなり

 

これはこれで、殯の歌にもなっていようが、672年1月7日〈ユリウス暦)に、近江宮で崩御された天皇は、15日、新宮で殯(もがり)した。

そして、壬申の乱(じんしんのらん)は、672年7月24日 - 8月21日に起こった古代日本最大の内乱なのだが、【万150】を十市皇女の歌とするなら、それに呼応してるような気もしないでも

ない。 

壬申の乱が、天智天皇の太子・大友皇子(24歳:1870年に弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(62歳:後の天武天皇)が兵を挙げて勃発した。

 

反乱者である大海人皇子が勝利するという、日本では例を見ない内乱であったのだが、十市皇女(19歳:葛野王3歳)にとっては、父と夫との戦であり、そして父が勝利したのである。

 

二十二日(8月20日)、男依(おより)らは瀬田に着いた頃には、大友皇子と群臣らは瀬田橋の西に大きな陣営を構えており、 陣の後ろの方が何処まであるか分らない程であった。

旗幟(軍旗)は野を覆い、土埃は天に連なっていて、 打ちならす鉦鼓の音は数十里に響き、弓の列からは矢が雨の降るように放たれた。

近江方の将である智尊(ちそん)は精兵を率い、先鋒として防戦しながら、 橋の中央を杖三本程の巾に切断し、一つの長板を渡していた。

もし板を踏んで渡る者があれば、板を引いて下に落そうということであり、 このため進んで襲うことができなかった。

ここに一人の勇士がおり、 大分君稚臣(おおきだのきみわかみ)という者が。 矛を捨て鎧を重ね着して、刀を抜いて一気に板を踏んで渡った。

板につけられた綱を切り、射られながらも敵陣に突入し、 たちまち近江方の陣は混乱し、逃げ散るのを止められなかった。

将軍の智尊は刀を抜き、逃げる者を斬ったが、留めることは出来ず、 智尊は橋のほとりで斬られた。

大友皇子と左右の大臣たちは、その身だけ辛うじてのがれ逃げ、 男依らは粟津岡(あわずのおか)の麓に、軍を集結した。

この日、羽田公矢国(はたのきみやくに)、出雲臣狛(いずものおみこま)は連合して、三尾城(みおのき)を攻めて落した。

二十三日(8月21日)、男依らは近江軍の将、犬養連五十君(いぬかいのむらじいきみ)と、谷直塩手(たにのあたいしおて)を粟津市で斬った。

こうして大友皇子は逃げ入る所もなくなり、 そこで引き返して山前(やまさき)に身を隠し、自ら首をくくって死んだ。 

 

【万29】には、【過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌】があるが、それよりも【万264】の歌が気にかかる。

【柿本朝臣人麻呂従近江國上来時至宇治河邊作歌一首】

物乃部能(もののふの)八十氏河乃(やそうぢかはの)阿白木尓(あじろきに)不知代経浪乃(いさよふなみの)去邊白不母(ゆくへしらずも)

 

人麻呂は、高市皇子の挽歌を遺しているけれど、おそらくこの歌は、大友皇子の挽歌のように思えてならない。

さらに言えば、【万266】についても、天智・大友の父子を偲ぶ鎮魂歌ではないだろうか?

淡海乃海(あふみのうみ)夕浪千鳥(ゆふなみちどり)汝鳴者(ながなけば)情毛思努尓(こころもしのに)古所念(いにしへおもほゆ)

 

あふみのみ ゆふなみちどり ながなけば こころもしのに いにしへおもゆ

以下に記すのは、【高市皇子尊城上殯宮之時柿本朝臣人麻呂作歌】であるが、三段に分けられるうちの、第一段との①と②の壬申の乱にまつわる部分である。

その第一段の①が、天武天皇が和射見(岐阜県関ケ原町)の行宮を拠点にして、服従しない国を平定するために、東国の兵を募り兵権を高市皇子(654?-696)にゆだねる経緯を歌う。

 

挂文(かけまくも)忌之伎鴨(ゆゆしきかも)一云 由遊志計礼杼母(ゆゆしけれども)言久母(いはまくも)綾尓畏伎(あやにかしこき)明日香乃(あすかの)真神之原尓(まかみがはらに)久堅能(ひさかたの)天都御門乎(あまつみかどを)懼母(かしこくも)定賜而(さだめたまひて)神佐扶跡(かむさぶと)磐隠座(いはがくります)八隅知之(やすみしし)吾大王乃(わごおほきみの)所聞見為(きこしめす)背友乃國之(そとものくにの)真木立(まきたつ)不破山越而(ふはやまこえて)狛劔(こまつるぎ)和射見我原乃(わざみがはらの)行宮尓(かりみやに )安母理座而(あもりいまして)天下(あめのした)治賜(をさめたまひ)一云 掃賜而( はらひたまひて)食國乎(をすくにを)定賜等(さだめたまふと)鷄之鳴(とりがなく)吾妻乃國之(あづまのくにの)御軍士乎(みいくさを)喚賜而(めしたまひて)千磐破(ちはやぶる)人乎和為跡(ひとをやはせと)不奉仕(まつろはぬ)國乎治跡(くにををさめと)一云 掃部等(くにをはらへと)

 

かけまくも:言葉に出して言うことも。

『忌』の字には少なくとも、忌(ギ)・ 忌(キ)・ 忌む(いむ)・ 忌まわしい(いまわしい)の4種の読み方が存在する。

いまわし・い〔いまはしい〕【忌まわしい】:不吉だ。縁起が悪い。

忌之伎鴨:いまはしきかも

いは-ま-く-も 【言はまくも】:口に出して言うのも。

あや-に 【奇に】:言い表しようがなく。

かしこ・し:【畏し】もったいない。恐れ多い。

『乃』の字には少なくとも、乃(ノ)・ 乃(ナイ)・ 乃(ダイ)・ 乃(アイ)・ 乃(の)・ 乃(なんじ)・ 乃ち(すなわち)の7種の読み方が存在する。

明日香乃 真神之原尓(あすかなの まかみがはらに):扇状地性の洪積台地にあった原野 ひさかた-の 【久方の】:天空に関係のある「天(あま)・(あめ)」にかかる。

かみ-さ・ぶ 【神さぶ】:神々(こうごう)しくなる。荘厳に見える。

いは-がく・る 【岩隠る】:(貴人が)亡くなる。

やすみ-しし 【八隅知し・安見知し】:「わが大君」「わご大君」にかかる。

そとも:【背面】(山の)北側。北。日光を受ける側の背面、日の当たらない方。

まき 【真木・槙】:杉や檜(ひのき)などの常緑の針葉樹の総称。

真木立:まきのたつ

ふは【不破】:岐阜県南西部、滋賀県と境する郡。古代、美濃国の国府が置かれた。

こま-つるぎ 【高麗剣】:高麗(こま)伝来の剣は、柄頭(つかがしら)に輪があるところから、輪と同音の「わ」にかかる。

和射見我原乃:現在の岐阜県関ヶ原一帯を指す。

万葉集巻2に所収された柿本人麻呂作の高市皇子挽歌には、壬申の乱の際の天武天皇の行動が、北の国美濃の真木が立つ不破山を越えて和射見が原の行宮にお出ましになったと記されている(『万葉神事語辞典』)

治賜:をさめたまひて

食國乎:すくくにを

す・く【好く】: 人や物事に心が引きつけられる。魅力を感じる。

とり-が-なく 【鳥が鳴く・鶏が鳴く】:東国人の言葉はわかりにくく、鳥がさえずるように聞こえることから、「あづま」にかかる。

喚賜而:さけびたまひて

ちはや-ぶる 【千早振る】:たけだけしい。荒々しい。

やは・す 【和す】:やわらげる。平定する。帰順させる。

 

 まつろ・ふ【服ふ・順ふ】:服従する。つき従う。仕える。

  

かけまくも いまはしきかも いはまくも あやにかしこき あすかだい まかみがはらに ひさかたの あまつみかどを かしこくも さだめたまひて かむさぶと いはがくります やすみしし わがおほきみの きこしめす そとものくにの まきのたつ ふはやまこへて こまつるぎ わざみがはらの かりみやに あまもいまして あめのした をさめたまひて すくくにを さだめたまふと とりがなく あづまのくにを みいくさを さけびたまひて ちはやぶる ひとをやはせと まつろはぬ くにををさめと

 

「今更言い出すのも、烏滸がましいが、明日香にある真神が原に、帝におつきになり、神々しくもお亡くなりになったわが大王の評判は、北方の国(東国)にまで及んだ。

そもそも、生い茂った樹林の不破山を越え、高麗剣(こまつるぎ)を帯びて、和射見の行宮にお出ましになり、天下をお治めになろうと、素晴らしい国にお建てになろうと、東の国で兵を募り、服従しない国は治めと言われた」

 

そして②で、壬申の乱の総司令官に任された、高市皇子の活躍が顕彰され、それによって瑞穂の国が平定されたことを歌う。

 

皇子随(みこながら)任賜者(よさしともへば)大御身尓(おほみみに)大刀取帶之(たちとりはかし)大御手尓(おほみてに)弓取持之(ゆみとりもたし)御軍士乎(みいくさを)安騰毛比賜(あどもひたまひ)齊流(ととのふる)皷之音者(つづみのおとは)雷之(いかづちの)聲登聞麻俤(こゑときくまで)吹響流(ふきなせる)小角乃音母(くだのおとも )一云 笛乃音波(ふえのおとは)敵見有(あたみたる )虎可叨吼登(とらかほゆると)諸人之(もろひとの)恊流麻俤尓(おびゆるまでに)一云 聞或麻泥(ききまとふまで)指擧有(ささげたる)幡之靡者(はたのなびきは)冬木成(ふゆこもり)春去来者(はるさりくれば)野毎(のごとに)著而有火之(つきてあるひの)一云 冬木成(ふゆこもり)春野焼火乃(はるのやくひの)風之共(かぜのむた)靡如久(なびくがごとく)取持流(とりもてる)弓波受乃驟(ゆはずのさわき)三雪落(みゆきふる)冬乃林尓(ふゆのはやしに)一云 由布乃林(ゆふのはやし)飃可毛(つむじかも)伊巻渡等(いまきわたると)念麻俤’(おもふまで)聞之恐久(ききのかしこく)一云 諸人(もろひとの)見或麻俤尓(みまとふまでに)引放(ひきはなつ)箭之繁計久(やのしげけく)大雪乃(おほゆきの)乱而来礼(みだれてきたれ)一云 霰成(あられなす)曽知余里久礼婆(そちよりくれば)不奉仕(まつろはず)立向之毛(たちむかひしも)露霜之(つゆしもの)消者消倍久(けなばけぬべく)去鳥乃(ゆくとりの)相競端尓(あらそふはしに)一云 朝霜之(あさしもの)消者消言尓(けなばけとふに)打蝉等(うつせみと)安良蘇布波之尓(あらそふはしに)渡會乃(わたらひの)齋宮従(いつきのみやゆ)神風尓(かむかぜに)伊吹或之(いふきまとはし)天雲乎(あまくもを)日之目毛不令見(ひのめもみせず)常闇尓(とこやみに)覆賜而(おほひたまひて)定之(さだめてし)水穂之國乎(みづほのくにを)

 

随:[音]ズイ(呉)[訓]したがう・まま・まにまに

任賜者:まかせたまへば

おほみ-み 【大御身】:天皇のおからだ。

はかし【佩=刀】:《「は(佩)かす」の連用形から》貴人の帯びている太刀をいう語。

アドモフ【率ふ】:声をかけて引率する。

くだ‐の‐ふえ【管の笛/小=角】

こ‐がく【古楽】: 古い時代の音楽。

小角乃音母:こがくのおとも

あた 【仇・敵・賊】:敵。外敵。

野毎:ののごとに

ゆ-はず 【弓筈・弓弭】:弓の両端の弦をかけるところ。上の弓筈を「末筈(うらはず)」、下を「本筈(もとはず)」と呼ぶ。◆「ゆみはず」の変化した語。

『驟』の字には少なくとも、驟(ソウ)・ 驟(ジュ)・ 驟(シュウ)・ 驟い(はやい)・ 驟る(はしる)・ 驟か(にわか)・ 驟(しばしば)の7種の読み方が存在する。

弓波受乃驟:ゆはずのはしり

聞之恐久:ききしにこはく

しげけ‐く【繁く】:(形容詞「しげし」のク語法) また、数の多いこと。

箭之繁計久:やのしげけくは

まつろ・ふ【服ふ・順ふ】〔現代かな遣い〕まつろう:服従する。つき従う。仕える。

 

け-・ぬ 【消ぬ】:消えてしまう。

わたらひ 【渡らひ】:世渡りすること。

いつきのみや【斎の宮】:神に奉仕する人が、身を清めてこもる所。

まとは・す 【纏はす】:付きまとう。

あま-くも 【雨雲】:雨を降らせる雲。

とこやみ【常闇】: 永遠にくらやみであること。常夜(とこよ)。

さだめ-て 【定めて】:必ず。きっと。まちがいなく。

 

みこのまま まかせたまへば おほみみに たちとりはかし おほみてに ゆみとりもたし みいくさを あどもひたまひ ととのふる つづみのおとは いかづちの こゑときくまで ふきなせる こがくのおとも あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに ささげたる はたのなびきは ふゆこもり はるさりくれば ののごとに つきてあるひの とりもてる ゆはずのはしり みゆきふる ふゆのはやしに つむじかも いまきわたると おもふまで ききしにこはく ひきはなつ やのしげけくは おほゆきの みだれてきたり まつろはず たちむかひしも つゆしもの けなばけぬべく ゆくとりの あらそふはしに わたらひの いつきのみやゆ かむかぜに いふきまとはし あまくもを ひのめもみせず とこやみに おほひたまひて さだめてし みずほのくにを 

 

「後のことは皇子に託し、太刀を帯びさせ、弓を取らせて、軍の指揮をと取り給い、軍楽を打ち鳴らし、雷(いかづち)の声聞くように、吹きならす古楽の音も、敵を観たる虎のように聞こえ、人々は恐れおののき、高々と旗はなびき、冬となり春ともなれば、野焼きを成すがごとく、取り持った弓を鳴らせば、雪つもる冬の林も、風も吹き渡っていくが、想いのほか聞きしに勝り、引き放った矢の数々に、従わない者たちには立ち向かい、露霜の消えるがごとくに蹴散らし、天下る斎宮からも神風が吹き、雨雲を日の目にさらさず、常闇に置いて、定め置かれた瑞穂の国を」