高市皇子

持統天皇の統治期間の大部分、高市皇子(654?-696)が太政大臣についていたのも、高市の母の身分が低かったにもかかわらず、壬申の乱での功績が著しく、政務にあたっても信望を集めていたと推察されるのである。

 

持統8年(694)、藤原宮に遷都されたのだが、持統天皇の吉野行幸(全31回)は衰えず、その年3回、9年5回、そして10年には3回(2・4・6月)を終えたのだが、この年に太政大臣高市皇子は薨去したのだ(7月)。

天皇・皇太子を除く皇族・臣下の最高位であったにもかかわらず、『日本書紀』には【庚戌、後皇子尊薨】と記されているだけである。

『延喜式』諸陵によれば墓は「三立岡墓」で、大和国広瀬郡にあり、東西6町南北4町で守戸(しゅこ)はないが、一方で、キトラ古墳か高松塚古墳の被葬者を高市皇子とする説もある。

柿本人麻呂作の高市皇子への、『万葉集』中最長の壮大な挽歌に、その親交の深さが窺えるのである。

ここで今一度、【高市皇子の挽歌】を思い起こすと、その第二段になるが、理想的な統治体制が長々と続いており、皇子の宮の葬祭へと移り、殯の宮への葬送と奉仕が、通しで歌われる。

 

神随(かむながら)太敷座而(ふとしきまして)八隅知之(やすみしし)吾大王之(わごおほきみの)天下(あめのした)申賜者(まをしたまへば)萬代尓(よろづよに)然之毛将有登(しかしもあらむと)一云 如是毛安良無等(かくしもあらむと)木綿花乃(ゆふばなの)榮時尓(さかゆるときに)吾大王(わごおほきみ)皇子之御門乎(みこのみかどを)一云 刺竹(さすたけの)皇子御門乎(みこのみかどを)神宮尓(かむみやに)装束奉而(よそひまつりて)遣使(つかはしし)御門之人毛(みかどのひとも)白妙乃(しろたへの)麻衣著(あさごろもきて)埴安乃(はにやすの)御門之原尓(みかどのはらに)赤根刺(あかねさす)日之盡(ひのことごと)鹿自物(ししじもの)伊波比伏管(いはひふしつつ)烏玉能(ぬばたまの)暮尓至者(ゆふへになれば)大殿乎(おほとのを)振放見乍(ふりさけみつつ)鶉成(うづらなす)伊波比廻(いはひもとほり)雖侍候(さもらへど)佐母良比不得者(さもらひえねば)春鳥之(はるとりの)佐麻欲比奴礼者(さまよひぬれば)嘆毛(なげきも)未過尓(いまだすぎぬに)憶毛(おもひも)未不盡者(いまだつきねば)言左敝久(ことさへく)百濟之原従(くだらのはらゆ)神葬(かむはぶり)〃伊座而(はぶりいまして)朝毛吉(あさもよし)木上宮乎(きのへのみやを)常宮等(とこみやと)高之奉而(たかくまつりて)神随(かむながら)安定座奴(しづまりましぬ)

 

かむ-ながら 【神ながら・随神・惟神】:神のお心のままに。

ふと‐しく【太敷く】 : りっぱに治める。

やすみ-しし 【八隅知し・安見知し】:国の隅々までお治めになっている意。 あめ-の-した 【天の下】:地上の全世界。この世の中。世間。

『申』の字には少なくとも、申(シン)・ 申す(もうす)・ 申(さる)・ 申ねる(かさねる)の4種の読み方が存在する。

『賜』の字には少なくとも、賜(シ)・ 賜る(たまわる)・ 賜(たまもの)・ 賜う(たまう)の4種の読み方が存在する。

『者』の字には少なくとも、者(シャ)・ 者(もの)の2種の読み方が存在する。

とはいえ、「者」は漢文における助字で、訓読の際に「は」と読みます。

申賜者:まうしたまふは

まうし 【申し】:願い出ること。申し願うこと。

よろず‐よ〔よろづ‐〕【万世/万代】:限りなく長く続く世。ばんせい。

 さ‐しも【▽然しも】 :そのようにも。それほどにも。

然之毛将有登:さしもあらむと

この場合の(ゆう) 【夕・木綿・結う】は花をさしてるのではない。

ゆ・ふ 【結ふ】:「ゆふ」は、ある形に作りなすという面が強い

さかゆく/栄行く:繁栄していく、栄え続ける、ますます栄える。

吾大王:わがお(お)うの

み-かど 【御門】:ご門。

かむ‐みや【神宮】 :神のおいでになる宮。

よそ・ふ 【装ふ】:身づくろいする。飾り整える。

つかは・す 【遣はす】:お遣わしになる。派遣なさる。おやりになる。

うずら‐なす 【鶉なす】:枕詞 (「なす」は「のように」の意)

鶉は草原で一つ所をはい回る習性があることから、「い這(は)ひもとほり」にかかる。

さまよ・ふ 【彷徨ふ】:うろうろする。漂い歩く。

ぬれ‐ば:(完了の助動詞「ぬ」の已然形に接続助詞「ば」の付いたもの)

順接確定条件を表わす。…たので。…てしまったので。

いはい‐もとお・る【い這い回る】(いはひもとほる):はいまわる。

いはひ【斎ひ】〔現代かな遣い〕いわい:神を祭る所。

伊波比廻:いはひをまわる

さ-もら・ふ 【候ふ・侍ふ】:貴人のそばに仕える。伺候する。

嘆毛:なげきつも

憶毛:おもひつも

ことさへく【言さへく】:外国語がやかましいだけであることから、「百済」にかかる。

くだら‐の【朽だら野】:草木が枯れ果てた冬の野。枯れ野。

はぶり 【葬り】:葬送。葬儀。「はふり」とも。

あさもよし【麻裳よし】:麻で作った裳の産地であったことから、地名「紀(キ)」に、また、同音を含む地名「城上(キノヘ)」にかかる。

き‐の‐へ【柵の戸】 :建設された城柵(じょうさく)の周辺には、数多くの柵戸が送り込まれた。

とこ-みや 【常宮】:永遠に変わることなく栄える宮殿。貴人の墓所の意でも用いる。

しづま・る 【鎮まる・静まる】:(神が)鎮座する。鎮座する、一定の場所に留まる。

 

かむながら ふとしきまして やすみしし わごおほきみの あめのした まうしたまふは よろづよに さしもあらむと ゆふばなの さかゆるときに わがおうの みこのみかどを かむみやに よそひまつりて つかはしし みかどのひとも しろたへの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに あかねさす ひのことごとに ししじもの いはひふしつつ ぬばたまの ゆふへになれば おほとのを ふりさけみつつ うづらなす いはふもとほり さもらへど さもらひえねば はるとりの さまよひぬれば なげきつも いまだすぎぬに おもひつも いまだつきねば ことさへく くだらのはらゆ かむはぶり はぶりいまして あさもよし きのへのみやを とこみやと たかくまつりて かむながら  しづまりましぬ  

 

 「神の御心のまま、立派に治められ、国の隅々に至り、申し上げることは、長く続くことは当然ではありましょうが、わが主人である皇子様のご門を、神のおいでになる宮のように飾り、おつかわしになった宮人も、白い麻衣を着て、祭壇には、猪肉やお祝いの品々が供えられており、夕ともなれば、隅々から人が集まり、右往左往しながら神処を回り、仕える人もそうでない人も、嘆きも未だすまぬのに、しのぶのも未だ尽きないのに、やかましいこと限りなく、殯を設け、永遠に変わることなく、神の御心のまま鎮座された」 

その第三段にあっては、皇子を偲ぶ生前の、香久山の宮を思い、永遠性を歌いながら、常々立派であられたと懐かしむのである。

 

雖然(しかれども)吾大王之(わごおほきみの)萬代跡(よろづよと)所念食而(おもほしめして)作良志之(つくらしし)香来山之宮(かぐやまのみや)萬代尓(よろづよに)過牟登念哉(すぎむともへや)天之如(あめのごと)振放見乍(ふりさけみつつ)玉手次(たまだすき)懸而将偲(かけてしのはむ)恐有騰文 (かしこけれども)

 

しかれ-ども 【然れども】:そうではあるが。しかしながら。

よろず‐よ〔よろづ‐〕【万世/万代】:限りなく長く続く世。ばんせい。

おもほ・す 【思ほす】:お思いになる。「思ふ」の尊敬語。

『玉』の字には少なくとも、玉(ゴク)・ 玉(ギョク)・ 玉(たま)の3種の読み方が存在する。 『手』の字には少なくとも、手(ズ)・ 手(シュウ)・ 手(シュ)・ 手(て)・ 手(た)の5種の読み方が存在する。

『次』の字には少なくとも、次(ジ)・ 次(シ)・ 次る(やどる)・ 次(つぎ)・ 次ず(ついず)・ 次ぐ(つぐ)の6種の読み方が存在する。

玉手次:たまたすき→たまだすき

たま‐だすき【玉×襷】 :たすきを項 (うなじ) に懸けるところから、「懸く」にかかる。

古代の「たすき」は、神を祀る際、お供物に袖が触れないようにするため、袖を束ねて肩にかける紐を指しており、労働用ではなく、神に奉仕する者の礼装の一部であった。

 かしこ 【畏・恐】:りっぱなこと

畏敬の意味が軽くなって、「かしこけれど」の形で「恐縮ですが」の意の挨拶語として用いる。

 

しかれども わごおおきみの よろずよと おもほしめして つくらしし かぐやまのみや よろずよに すぎむともへや あめのごと ふりさけみつつ 

たまだすき かけてしのばむ かしこけれども

 

「そうはいっても、わが大王の、限りなく続く世とお思いになり、お創りになった香久山の宮も時は過ぎてしまいましたが、天を仰ぎ見れば、あなたがついつい立派であったことが偲ばれます」

0200 短歌二首

02 0200 久堅之(ひさかたの)天所知流(あめしらしぬる)君故尓(きみゆゑに)日月毛不知(ひつきもしらず)戀渡鴨 (こひわたるかも)

02 0201 埴安乃(はにやすの)池之堤之(いけのつつみの)隠沼乃(こもりぬの)去方乎不知(ゆくへをしらに)舎人者迷惑(とねりはまとふ)

 

02 0202 或書反歌一首

02 0202 哭澤之(なきさはの)神社尓三輪須恵(もりにみわすゑ)雖禱祈(いのれども)我王者(わごおほきみは)高日所知奴 (たかひしらしぬ)

 

この歌のあとがきに、【右一首類聚歌林曰 桧隈女王怨泣澤神社之歌也 案日本紀云 十年丙申秋七月辛丑朔庚戌後皇子尊薨】とある。

 

桧隈女王(ひのくまのおおきみ、生没年不詳)が、高市皇子の延命を祈ったことから、桧隈女王は高市皇子の妃という説があるが、父母や兄弟姉妹、子女は不明である。

この歌は、十市を挽歌で見送ってくれた高市と言うだけでなく、大嶋とも親交があったであろう皇子に対し、額田(59)もまた挽歌でお返ししたように思う。

  

現代の畝尾都多本神社(うねおつたもとじんじゃ)は、「哭澤の神社」(なきさわのもり)とも言い、 祭神の哭澤女神(なきさわめのかみ)は、「古事記」によると国生みの最後の段階で、伊邪那美神(いざなみのかみ)が火の神である火之迦具土神(ひのかぐちのかみ)を生み亡くなったのを、父の伊邪那岐神(いざなぎのかみ)が悲しんで泣いた涙から生まれた女神だと言われています。 みわ【神酒】: 神に供える酒。

す・う 【据う】:活用{ゑ/ゑ/う/うる/うれ/ゑよ}置く。据える。

たかひ-し・る 【高日知る】:死んで神として天上を治める。

 

なきさはの もりにみわすゑ いのれども わごおほきみは たかひとしりぬ