万葉集Ⅲ 筑紫歌壇

05 0810 大伴淡等謹状大伴淡等の謹みて状(かきつけ)す

05 0810 梧桐日本琴一面[梧桐の日本琴一面] 對馬結石山孫枝〔対馬の結石山(ゆうしやま)の孫枝(ひこえ)なり

此琴夢化娘子曰 余託根遥嶋之崇巒 晞■[朝の左+尞の上・于]九陽之休光 長帶烟霞逍遥山川之阿 遠望風波出入鴈木之間 唯恐 百年之後空朽溝壑 偶遭良匠散為小琴 不顧質麁音少 恒希君子左琴 即歌曰[この琴夢に娘子に化りて曰はく、「余根を遙島の崇(たか)き巒(やまなみ)に託(ことづ)け、韓を九陽の休き光に晞(さら)す。 長く煙霞を帯びて、山川の阿(くま)に逍遙し、遠く風波を望みて、雁木の間に出入す。唯百年の後に、空しく溝壑(こうがく)に朽ちむことを恐るるのみ。 偶(たまたま)良匠に遭ひて、散られて小琴と為る。質の麁(あら)く音の少しきを顧みず。恒に君子の左琴を希ふ」といへり。即ち歌ひて曰はく]

05 0810 伊可尓安良武(かにあらむ)日能等伎尓可母(ひのときにかも)許恵之良武(こゑしらむ)比等能比射乃倍(ひとのひざのへ)和我麻久良可武(わがまくらかむ)

 

『伊』の字には少なくとも、伊(イ)・ 伊(ただ)・ 伊(これ)・ 伊(かれ)の4種の読み方が存在する。

『可』の字には少なくとも、可(コク)・ 可(カ)・ 可い(よい)・ 可し(べし)の4種の読み方が存在する。

伊(かれ)+可(カ)=(か)

尓:[音] ニ(呉)ジ(漢) [訓]なんじ、しかり、その、のみ

 

05 0811 僕報詩詠曰[僕(やつがれ)詩詠に報へて曰はく] 琴娘子答曰[琴の娘子答へて曰はく

05 0811 許等〃波奴(こととはぬ)樹尓波安里等母(きにはありとも)宇流波之吉(うるはしき)伎美我手奈礼能(きみがたなれの)許等尓之安流倍志 (ことしあるべし)

 

『尓』の字には少なくとも、尓(ジ)・ 尓(シ)・ 尓(ギ)・ 尓(キ)の4種の読み方が存在する。

『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。

尓(シ)+之(シ)=(し)

 

05 0811 敬奉徳音 幸甚〃〃 片時覺 即感於夢言慨然不得止黙 故附公使聊以進御耳[「敬みて徳音を奉はりぬ。幸甚幸甚」といへり。片時にして覚き、すなはち夢の言に感じ、慨然として止黙をるを得ず。 故公使に附けて、聊(いささ)か進御(しんぎょす)る] 謹状不具 〔謹みて状す。不具〕天平元年(729)十月七日附使進上 謹通 中衛高明閤下 謹空 [天平元年(729)十月七日使に附けて進上(しんじょうす)る。 謹通 中衛高明閤下 謹空] 

03 0328 大宰少貳小野老朝臣歌一首(729)

03 0328 青丹吉(あをによし)寧樂乃京師者(ならのみやこは )咲花乃(さくはなの)薫如(にほへるがごと)今盛有(いまさかりなり)

 

小野老(?-737)は、聖武朝の神亀5年(728年)4月頃大宰少弐として大宰府に赴任したのち、10月頃大宰府における政治の実情を朝廷に報告する朝集使として平城京に赴き、報告を済ませた後も、なお翌神亀6年(729年)3月頃までに平城京にとどまり、4月に大宰府へ戻ってきたものと推量される。

つまり、太宰少弐(従五位下)老(おゆ)は、『長屋王の変』に出会(でくわ)したに違いないが、藤原四子政権下において、天平3年(731年)正五位下、天平5年(733年)正五位上、天平6年(734年)従四位下と順調に昇進しており、あるいは企てに誘われたのかもしれず、天平9年(737年)6月11日に、藤原四兄弟と相前後して卒去することになる。

 

03 0329 防人司佑大伴四綱歌二首(729)

03 0329 安見知之(やすみしし)吾王乃(わがおほきみの)敷座在(しきませる)國中者(くにのうちには)京師所念(みやことおもふ)

 03 0330 藤浪之(ふぢなみの)花者盛尓(はなはさかりに)成来(なりにけり)平城京乎(ならのみやこを)御念八君(おもほすやきみ)

 

これらの歌は、『長屋王の変』の後であり、奈良の都は聖武・藤原家が築いたもののように、【薫如 今盛有】(万328)【藤浪之 花者盛尓】(万330)と歌っているのだ。

03 0331 帥大伴卿歌五首(729)

03 0331 吾盛(わがさかり)復将變八方(またかはるやも)殆(ほとほとに)寧樂京乎(ならのみやこを)不見歟将成(みずかとならむ)

 

『復』の字には少なくとも、復(フク)・ 復(フウ)・ 復(また)・ 復び(ふたたび)・ 復る(かえる)・ 復す(かえす)の6種の読み方が存在する。

『将』の字には少なくとも、将(ソウ)・ 将(ショウ)・ 将に…す(まさに…す)・ 将いる(ひきいる)・ 将(はた)の5種の読み方が存在する。

復(また)+ 将(はた)=(また)

『變』の字には少なくとも、變(ベン)・ 變(ヘン)・ 變わる(かわる)・ 變える(かえる)の4種の読み方が存在する。

『殆』の字には少なくとも、殆(ダイ)・ 殆(タイ)・ 殆ど(ほとんど)・ 殆(ほとほと)・ 殆うい(あやうい)の5種の読み方が存在する。

『歟』の字には少なくとも、歟(ヨ)・ 歟(や)・ 歟(か)の3種の読み方が存在する。

 

03 0332 吾命毛(わがめいも)常有奴可(つねにもあらぬか)昔見之(むかしみし)象小河乎(きさのをがはを)行見為 (ゆきてみむとす)

03 0333 淺茅原(あさぢはら)曲曲二(まがりまがりに)物念者(ものおもふ)故郷之(ふるさとをゆく)所念可聞(とおもひしかも)

 

 『曲』の字には少なくとも、曲(コク)・ 曲(ク)・ 曲(キョク)・ 曲(まが)・ 曲げる(まげる)・ 曲がる(まがる)・ 曲(くま)・ 曲(くせ)・ 曲(かね)の9種の読み方が存在する。

『念』の字には少なくとも、念(ネン)・ 念(デン)・ 念う(おもう)の3種の読み方が存在する。

『者』の字には少なくとも、者(シャ)・ 者(もの)2種の読み方が存在する。

念う(おもう)+者(もの)=(おもふ)

『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。

『可』の字には少なくとも、可(コク)・ 可(カ)・ 可い(よい)・ 可し(べし)の4種の読み方が存在する。

『聞』の字には少なくとも、聞(モン)・ 聞(ブン)・ 聞こえる(きこえる)・ 聞く(きく)の4種の読み方が存在する。

 

03 0334 萱草(わすれぐさ)吾紐二付(わがひもにつく)香具山乃(かぐやまの)故去之里乎(もとゆきしさとを)忘之為(わすれしために)

 

『故』の字には少なくとも、故(コ)・ 故(ク)・ 故(ゆえ)・ 故(もと)・ 故い(ふるい)・ 故に(ことさらに)の6種の読み方が存在する。

『去』の字には少なくとも、去(コ)・ 去(ク)・ 去(キョ)・ 去く(ゆく)・ 去く(のぞく)・ 去る(さる)の6種の読み方が存在する。

 

03 0335 吾行者(われゆくも)久者不有(ひさしくあらず)夢乃和太(ゆめのわだ)湍者不成而(せにはならずに)淵有毛 (ふちにてあらも )

 

『者』の字には少なくとも、者(シャ)・ 者(もの)の2種の読み方が存在するが、古訓として、は(助詞)・ば(助詞)がある。 『久』の字には少なくとも、久(ク)・ 久(キュウ)・ 久しい(ひさしい)の3種の読み方が存在する。

久しい(ひさしい)+者(シャ)=(ひさし)

 わだ 【曲】:入り江など、曲がった地形の所。

「夢のわだ」は、宮滝付近を流れる吉野川の淵をさすと思われる。

『湍』の字には少なくとも、湍(タン)・ 湍(セン)・ 湍(はやせ)・ 湍い(はやい)の4種の読み方が存在する。

はや-せ 【早瀬】:川の、流れがはやく浅い所。

『而』の字には少なくとも、而(ノウ)・ 而(ニ)・ 而(ドウ)・ 而(ジ)・ 而(なんじ)・ 而れども(しかれども)・ 而るに(しかるに)・ 而も(しかも)・ 而して(しかして)の9種の読み方が存在する。

『淵』の字には少なくとも、淵(エン)・ 淵(イン)・ 淵(ふち)・ 淵い(ふかい)・ 淵い(おくぶかい)の5種の読み方が存在する。

ふち 【淵】:水がよどんで深くなっている所。

『有』の字には少なくとも、有(ユウ)・ 有(ウ)・ 有つ(もつ)・ 有る(ある)の4種の読み方が存在する。

 

まるでこの五首は、都との縁が切れたようなのだが、天平2年(730年)9月には大納言・多治比池守が薨去と大官が次々と没したことから、旅人は太政官において臣下最高位となり(太政官の首班は知太政官事・舎人親王)、同年11月に大納言に任ぜられて帰京することになるのだが・・・。

 

03 0336 沙弥満誓詠綿歌一首[沙弥満誓の綿を詠める歌一首]造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也〔造筑紫観音寺別当、俗姓は笠朝臣麻呂なり

03 0336 白縫(しらぬひの)筑紫乃綿者(つくしのわたも)身著而(みにつけて)未者伎祢杼(いまだはきねど)暖所見 (あたたきとみゆ)

 

者:[音]シャ(呉・漢)[訓]もの(常用)は・ば・てえり・てえれば(古訓)

いま-だ 【未だ】:〔下に打消の語を伴って〕まだ。

 

この歌がここに並べているのは、まるでフェイントの様であり、先の二人の歌に対し、長屋王と親交のある旅人の歌に、場の雰囲気が悪くなったのかもしれない。

そして憶良の有名な歌が詠まれるのだが、まさに潮時を知らせる、タイミングの良い歌であった。

 

03 0337 山上憶良臣罷宴歌一首

03 0337 憶良等者(おくららは)今者将罷(いまはまからむ)子将哭(こなくらむ)其彼母毛(それそのははも)吾乎将待曽 (わをまつらむぞ)

 

「ら」は謙譲の意を添える接尾語。

『将』の字には少なくとも、将(ソウ)・ 将(ショウ)・ 将に…す(まさに…す)・ 将いる(ひきいる)・ 将(はた)の5種の読み方が存在する。

者(は)+ 将(はた)=(は)

『罷』の字には少なくとも、罷(ベ)・ 罷(ビ)・ 罷(ヒョク)・ 罷(ヒキ)・ 罷(ヒ)・ 罷(ハイ)・ 罷(ハ)・ 罷める(やめる)・ 罷る(まかる)・ 罷れる(つかれる)の10種の読み方が存在する。 

大宰府では、旅人(665-731:萬葉集78)を中心に、山上憶良(660?-733?:萬葉集78)・満誓(生没年不詳:万葉集7)らとの交流を通じて筑紫歌壇が形成されていった。

04 0555 大宰帥大伴卿贈大貳丹比縣守卿遷任民部卿歌一首[大宰帥大伴卿の大弐丹比県守卿の民部卿に遷任するに贈れる歌一首](729)

04 0555 為君(きみがため)醸之待酒(かものまちさけ)安野尓(やすののに)獨哉将飲(ひとりやのまむ)友無二思手(ともなしにして)

 

『為』の字には少なくとも、為(イ)・ 為る(なる)・ 為す(なす)・ 為る(つくる)・ 為(ため)・ 為る(する)の6種の読み方が存在する。

『醸』の字には少なくとも、醸(ジョウ)・ 醸す(かもす)の2種の読み方が存在する。

まち‐ざけ【待酒】:訪れて来る人に飲ませるために、あらかじめ造っておく酒。

 

多治比 縣守(たじひ の あがたもり:668-737) 天平元年(729)2月権参議大宰大弐、同3月従三位、同3・8参議、民部卿とあり、この目まぐるしい変化は何を意味するのか分からないが、それ以後、旅人と切り離し、老い(おゆ)と同じように、藤原四子政権下で順調に昇進する。

彼もまた、天平9年(737年)6月23日薨去(こうきょ:享年70)し、当時大流行して藤原四兄弟も命を落とした天然痘を死因とする説もあるが、果たしてそれだけであろうか?

 

04 0556 賀茂女王贈大伴宿祢三依歌一首[賀茂女王の大伴宿禰三依に贈れる歌一首] 故左大臣長屋王之女也る歌一首[故左大臣長屋王の女なり](729)

04 0556 筑紫船(つくしぶね)未毛不来者(いまもこずとは)豫(あらかじめ)荒振公乎(あらぶるきみを)見之悲左 (みるがかなしさ)

 

この歌は、三依(みより)としているが、父長屋王と親しかった旅人へ、すがる想いの歌であったような気がする。

賀茂女王(かもじょおう/かものおおきみ)の母は、側室の阿倍大刀自で、中納言阿倍広庭の娘なのだ。

阿倍 広庭(あべ の ひろにわ:659-732)は、長屋王政権下では極端に議政官の移動が少ない中、広庭は非常に順調に昇進を果たしており、長屋王との関係が良好であったと見られるのだ。

 

05 0806 伏辱来書 具承芳旨 忽成隔漢之戀 復傷抱梁之意 唯羨去留無恙 遂待披雲耳 歌詞兩首[伏して来書を辱(かたじけな)くし、具に芳旨(ほうし)を承りぬ。忽ちに漢を隔つる恋を成し、復、梁を抱く意を傷ましむ。 唯だ羨はくは、去留に恙無く、遂に雲を披くを待たまくのみ。 歌詞両首]大宰帥大伴卿[大宰帥大伴卿〕

05 0806 多都能馬母(たつのまも)伊麻勿愛弖之可(いまもえてしか)阿遠尓与志(あをによし)奈良乃美夜古尓(ならのみやこに)由吉帝己牟丹米(ゆきてこむため)

05 0807 宇豆都仁波(うつつには)安布余志勿奈子(あふよしもなし)奴婆多麻能(ぬばたまの)用流能伊昧仁越(よるのいめにを)都伎提美延許曽(つぎてみえこそ )

 

『越』の字には少なくとも、越(ガチ)・ 越(カツ)・ 越(オツ)・ 越(オチ)・ 越(エツ)・ 越(こし)・ 越す(こす)・ 越える(こえる)の8種の読み方が存在する。

04 0569 辛人之   衣染云      紫之    情尓染而    所念鴨

からひとの ころもそむといふ むらさきの こころのしみて おもほゆるかも

04 0570 山跡邊   君之立日乃   近付者   野立鹿毛    動而曽鳴

やまとへに きみがたつひの ちかづけば のにたつしかも とよめてぞなく

04 0570 右二首大典麻田連陽春

05 0812 跪承芳音 嘉懽交深 乃知 龍門之恩復厚蓬身之上 戀望殊念常心百倍 謹和白雲之什以奏野鄙之歌 房前謹状跪きて芳音を承り、嘉懽交深し。乃ち、龍門の恩の、復蓬身の上に厚きを知りぬ。恋ひ望む殊念、常の心に百倍せり。 謹みて白雲の什に和へて、野鄙の歌を奏る。房前謹みて状す]謹通 尊門 記室 十一月八日 附還使大監[尊貴のあたり、書記役に謹しみ致す。 十一月八日、帰国の使者、大監に托す]

 

05 0812 許等騰波奴( こととはぬ)紀尓茂安理等毛(きにもありとも)和何世古我(わがせこが)多那礼乃美巨騰(たなれのみこと)都地尓意加米移母(つちにおくまい)

 

『意』の字には少なくとも、意(ヨク)・ 意(ヨキ)・ 意(ヨイ)・ 意(イ)・ 意(こころ)・ 意う(おもう)の6種の読み方が存在する。

『加』の字には少なくとも、加(ケ)・ 加(カ)・ 加わる(くわわる)・ 加える(くわえる)の4種の読み方が存在する。

『米』の字には少なくとも、米(メートル)・ 米(メ)・ 米(マイ)・ 米(ベイ)・ 米(よね)・ 米(こめ)の6種の読み方が存在する。

『移』の字には少なくとも、移(シ)・ 移(イ)・ 移る(うつる)・ 移す(うつす)の4種の読み方が存在する。

『母』の字には少なくとも、母(モ)・ 母(ム)・ 母(ボウ)・ 母(ボ)・ 母(はは)の5種の読み方が存在するが、古語として母(いろ):[古]生母。「いろは(母)」とも呼ぶ。

 

米(マイ)+移(イ)+母(いろ)=(まい)

 

これが旅人に応えた、房前の歌であるが、おそらく二人にとってのことは、長屋王のことであり、悔いている房前が目に浮かぶ。