大伴卿報凶問

神亀3年(726年)頃、筑前守に任ぜられ、山上憶良(660-733)は任国に下向しており、神亀5年(728年)頃に大宰帥(そち)として大宰府に着任した大伴旅人と共に、筑紫歌壇を形成することになる。

日本最古の歌集・万葉集には、筑紫で詠まれた和歌が約320首あり、大宰府の長官(帥)大伴旅人邸で行われ西海道諸国の官人らが集った「梅花の宴」の和歌、遠い東国から九州へ辺境防備のため派遣された防人たちによる「防人の歌」、貧者が困窮する様子と里長による税の取り立てを詠んだ山上憶良の「貧窮問答歌」などが有名ですが、そのほかの和歌にも、筑紫の情景が生き生きと詠まれています。

 

奈良時代の初めの神亀(じんき)年間から天平(てんぴょう)年間にかけての数年、大宰府には大宰帥大伴旅人・筑前国守山上憶良を中心に、少弐(728)小野老(おののおゆ)、造観世音寺別当(723)沙弥満誓(しゃみまんせい)、娘子(おとめ:730)児島、大伴坂上郎女(729頃)などの人々が会し、『万葉集』に収められた数々の歌を残したのだ。

 

筑紫歌壇の代表的な歌は、帥大伴旅人邸で開かれた梅花宴(ばいかのえん)32首、亡くした妻を偲ぶ旅人の歌、貧窮問答歌などの憶良作の歌群、松浦川の歌群、志賀白水郎(あま)の歌、そして遣新羅使の筑紫での歌などです。

ほかにも、紀男人(きのおひと、大弐:730)、粟田比登(あわたのひと)(少弐:730)の名が見受けられます。

05 0793 雜歌

05 0793 大宰帥大伴卿報凶問歌一首[大宰帥大伴卿の、凶問に報へたる歌一首]

05 0793 禍故重疊 凶問累集 永懐崩心之悲 獨流断腸之泣 但依兩君大助傾命纔継耳[禍故重畳(かこちょうじょう)し、凶問累集す。永に崩心の悲しびを懐き、独り断腸の涙を流す。 ただ両君の大きなる助に依りて、傾命を纔(わづか)に継ぐのみ]筆不盡言古今所歎〔筆の言を尽さぬは、古今の嘆く所なり

05 0793 余能奈可波(よのなかは)牟奈之伎母乃等(むなしきものと)志流等伎子(しるときし)伊与余麻須万須(いよよますます)加奈之可利家理(かなしかりけり)

05 0793 神龜五年(728)六月二十三日

 

05 0794 日本挽歌一首

05 0794 盖聞 四生起滅方夢皆空 三界漂流喩環不息 所以維摩大士在于方丈 有懐染疾之患 釋迦能仁坐於雙林 無免泥洹之苦 故知 二聖至極不能拂力負之尋至 三千世界誰能逃黒闇之捜来 二鼠競走而度目之鳥旦飛 四蛇争侵而過隙之駒夕走 嗟乎痛哉 紅顏共三従長逝 素質与四徳永滅 何圖 偕老違於要期獨飛生於半路 蘭室屏風徒張 断腸之哀弥痛 枕頭明鏡空懸 染筠之涙逾落 泉門一掩 無由再見 嗚呼哀哉 愛河波浪已先滅 苦海煩悩亦無結 従来猒離此穢土 本願託生彼浄刹[蓋(けだ)し聞く、四生(ししょう)の起き滅ぶることは、夢の皆空しきが方(ごと)く、三界の漂ひ流るることは環(たまき)の息(や)まぬが喩(ごと)し。 所以、維摩大士は方丈に在りて、染疾の患を懐くことあり、釈迦能仁は、双林に坐して、泥(ないをん)の苦しみを免るること無し、と。 故知る、二聖の至極も、力負の尋ね至るを払ふこと能はず、三千の世界に、誰か能く黒闇の捜(たづ)ね来るを逃れむ、と。 二つの鼠競ひ走り、目を度る鳥旦(あした)に飛び、四つの蛇争ひ侵して、隙を過ぐる駒夕に走る。 嗟乎痛しきかも。紅顏は三従と長(とこしへ)に逝き、素質は四徳と永(とこしへ)に滅ぶ。 何そ図らむ、偕老の要期に違ひ、独飛して半路に生きむことを。蘭室の屏風徒らに張りて、腸を断つ哀しび弥痛く、枕頭の明鏡空しく懸りて、染の涙逾(いよいよ)落つ。 泉門一たび掩(おお)はれて、再見るに由無し。嗚呼哀しきかも。 愛河(あいが)の波浪は已先に滅え、苦海の煩悩も亦た結ぼほることなし。従来この穢土を離す。本願をもちて生を彼の浄刹に託せむ

05 0794 大王能(おほきみの)等保乃朝庭等(とほのみかどと)斯良農比(しらぬひの)筑紫國尓(つくしのくにに)泣子那須(なくこなす)斯多比枳摩斯提(したひきまして)伊企陁尓母(いきだにも)伊摩陁夜周米受(いまだやすめず)年月母(としつきも)伊摩他阿良祢婆(いまだあらねば)許〃呂由母(こころゆも)於母波奴阿比陁尓(おもはぬあひじ)宇知那毘枳(うちなびき)許夜斯努礼(こやしぬれ)伊波牟須弊(いはむすべ)世武須弊斯良尓(せむすべしらに)石木乎母(いはきをも)刀比佐氣斯良受(とひさけしらず)伊弊那良婆(いへならば)迦多知波阿良牟乎(かたちはあらむ)宇良賣斯企(うらめしき)伊毛乃美許等能(いものみことの)阿礼乎婆母(あれをばも)伊可尓世与等可(いかにせよとか)尓保鳥能(にほどりの)布多利那良毘為(ふたりならびゐ)加多良比斯(かたらひし)許〃呂曽牟企弖(こころぞむきて)伊弊社可利伊摩須(いへじよかなず)

 

しらぬひ:地名「筑紫(つくし)」にかかる。

陀:[音]タ、 ダ、 チ、 ジ、 イ[訓]ななめ、 ななめのさま、 けわしい

『尓』の字には少なくとも、尓(ジ)・ 尓(シ)・ 尓(ギ)・ 尓(キ)の4種の読み方が存在する。

陀(ジ)+尓(ジ)=(じ)

あひ 【合ひ・会ひ・逢ひ】:あうこと。対面。

じ:〔打消の推量〕…ないだろう。…まい。

乎:状態をあらわす漢語につけて語調を強める助字。

『社』の字には少なくとも、社(ジャ)・ 社(シャ)・ 社(やしろ)の3種の読み方が存在する。

『可』の字には少なくとも、可(コク)・ 可(カ)・ 可い(よい)・ 可し(べし)の4種の読み方が存在する。 『利』の字には少なくとも、利(リ)・ 利い(よい)・ 利し(とし)・ 利い(するどい)・ 利く(きく)の5種の読み方が存在する。

可い(よい)+利い(よい)=(よ)

『伊』の字には少なくとも、伊(イ)・ 伊(ただ)・ 伊(これ)・ 伊(かれ)の4種の読み方が存在する。

『摩』の字には少なくとも、摩(ミ)・ 摩(マ)・ 摩(ビ)・ 摩(バ)・ 摩る(する)・ 摩る(さする)・ 摩る(こする)の7種の読み方が存在する。

『須』の字には少なくとも、須(ヘン)・ 須(ハン)・ 須(ス)・ 須(シュ)・ 須める(もとめる)・ 須いる(もちいる)・ 須つ(まつ)・ 須らく…べし(すべからく…べし)・ 須く(しばらく)の9種の読み方が存在する。

摩る(する)+須(ス)=(す)

 

05 0795 反歌

05 0795 伊弊尓由伎弖(いへゆきて)伊可尓可阿我世武(いかかあがせむ)摩久良豆久(まくらづく)都摩夜佐夫斯久(つまやさぶしく)於母保由倍斯母(おもほゆべしも)

 

【尓】の異体字は『爾』であり、その用法として、助字(漢文)の扱い

 

05 0796 伴之伎与之(はしきよし)加久乃未可良尓(かくのみからに)之多比己之(したひこし)伊毛我己許呂乃(いもがこころの)須別毛須別那左(すべもすべなさ)

05 0797 久夜斯可母(くやしかも)可久斯良摩世婆(かくしらませば)阿乎尓与斯(あをによし)久奴知許等其等(くぬちことごと)美世摩斯母乃乎(みせましものを)

05 0798 伊毛何美斯(いもがみし)阿布知乃波那波(あふちのはなは)知利奴倍斯(ちりぬべし)和何那久那美多(わがなくなみた)伊摩陁飛那久尓(いまだひなくに)

05 0799 大野山(おほのやま)紀利多知和多流(きりたちわたる)和何那宜久(わがなげく)於伎蘇乃可是尓(おきそのかぜに)紀利多知和多流(きりたちわたる)

 

05 0799 神龜五年(728)七月廿一日 筑前國守山上憶良上

山上 憶良は、大宝元年(701年)第八次遣唐使の少録に任ぜられ、翌大宝2年(702年)唐に渡り儒教や仏教など最新の学問を研鑽する(この時の冠位は無位)。

和銅7年(714年)正六位下から従五位下に叙爵し、霊亀2年(716年)伯耆守に任ぜられ、養老5年(721年)佐為王・紀男人らと共に、東宮・首皇子(のち聖武天皇)の侍講として、退朝の後に東宮に侍すよう命じられる。

 

仏教や儒教の思想に傾倒していた憶良は、死や貧・老・病などといったものに敏感で、かつ社会的な矛盾を鋭く観察していた。

そのため、官人という立場にありながら、重税に喘ぐ農民や防人に取られる夫を見守る妻など、家族への愛情、農民の貧しさなど、社会的な優しさや弱者を鋭く観察した歌を多数詠んでおり、当時としては異色の社会派歌人として知られる。

大伴旅人と共に、筑紫歌壇を形成した憶良も、天平4年(732年)頃に筑前守任期を終えて帰京することになる。

03 0438 神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思戀故人歌三首[神亀五年(728)戊辰。大宰帥大伴卿の故人を思恋へる歌三首]

03 0438 愛(うつくしき)人之纒而師(ひとのまとひし)敷細之(しきほそし)吾手枕乎(わがたまくらを)纒人将有哉(まとひあらむや)

 

『愛』の字には少なくとも、愛(エ)・ 愛(アイ)・ 愛でる(めでる)・ 愛(まな)・ 愛しい(かなしい)・ 愛しむ(おしむ)・ 愛い(うい)・ 愛しい(いとしい)の8種の読み方が存在する。

うつく・し 【愛し・美し】:いとしい。

『纒』の字には少なくとも、纒(テン)・ 纒(まとい)・ 纒める(まとめる)・ 纒う(まとう)・ 纒わる(まつわる)・ 纒る(まつる)の6種の読み方が存在する。

まと・ふ 【纏ふ】:からみ付く。巻き付く。

『而』の字には少なくとも、而(ノウ)・ 而(ニ)・ 而(ドウ)・ 而(ジ)・ 而(なんじ)・ 而れども(しかれども)・ 而るに(しかるに)・ 而も(しかも)・ 而して(しかして)の9種の読み方が存在する。

『師』の字には少なくとも、師(シ)・ 師(みやこ)・ 師(いくさ)の3種の読み方が存在する。

而(ジ)+師(シ)=(し)

『細』の字には少なくとも、細(セイ)・ 細(サイ)・ 細る(ほそる)・ 細い(ほそい)・ 細やか(ささやか)・ 細かい(こまかい)・ 細か(こまか)・ 細しい(くわしい)の8種の読み方が存在する。

『人』の字には少なくとも、人(ニン)・ 人(ジン)・ 人(ひと)の3種の読み方が存在する。 纒(まとい)+人(ひと)=(まとひ)

 

03 0438 右一首別去而経數旬作歌[右の一首は、別れ去にて数旬を経て作れる歌なり]

 

03 0439 應還(かへるべき)時者成来(ときはなりけり)京師尓而(みやこにて)誰手本乎可(たがたもとをか)吾将枕(われはまくらす)

 

『應』の字には少なくとも、應(ヨウ)・ 應(オウ)・ 應に…べし(まさに…べし)・ 應える(こたえる)の4種の読み方が存在する。

『京』の字には少なくとも、京(ゲン)・ 京(ケイ)・ 京(キン)・ 京(キョウ)・ 京(みやこ)の5種の読み方が存在する。

京(みやこ)+ 師(みやこ)=(みやこ)

『手』の字には少なくとも、手(ズ)・ 手(シュウ)・ 手(シュ)・ 手(て)・ 手(た)の5種の読み方が存在する。

 

03 0440 在京(みやこなる)荒有家尓(あれたるいへに)一宿者(ひとやども)益旅而(ますますたびに)可辛苦(つらくなるべし)

 

『益』の字には少なくとも、益(ヤク)・ 益(エキ)・ 益(イツ)・ 益(イチ)・ 益(ますます)・ 益す(ます)の6種の読み方が存在する。

『而』の字には少なくとも、而(ノウ)・ 而(ニ)・ 而(ドウ)・ 而(ジ)・ 而(なんじ)・ 而れども(しかれども)・ 而るに(しかるに)・ 而も(しかも)・ 而して(しかして)の9種の読み方が存在する。

『辛』の字には少なくとも、辛(シン)・ 辛い(つらい)・ 辛い(からい)・ 辛(かのと)の4種の読み方が存在する。

03 0440 右二首臨近向京之時作歌[右の二首は、近く京に向ふ時に臨りて作れる歌なり

06 0956 帥大伴卿和歌一首(728?)

06 0956 八隅知之(やすみしし)吾大王乃(わごおほきみの)御食國者(をすくにも)日本毛此間毛(やまともここも)同登曽念(おなじとぞおもふ)

 

『食』の字には少なくとも、食(ジキ)・ 食(ジ)・ 食(ショク)・ 食(シ)・ 食(イ)・ 食む(はむ)・ 食べる(たべる)・ 食らう(くらう)・ 食う(くう)の9種の読み方が存在するけれど、古語においては「食す(をす)」と言うらしい。

お・す〔をす〕【▽食す】:「統(す)ぶ」「治む」の尊敬語。統治なさる。しろしめす。

唐との国交正常化を目指して日本の国号変更(「倭」→「日本」、どちらも同じ国号「やまと」だが漢字表記を変更)

『此』の字には少なくとも、此(シ)・ 此(これ)・ 此(ここ)・ 此の(この)・ 此く(かく)の5種の読み方が存在する。

間:[音]ケン(連濁あり)(呉)カン(漢)[訓]あいだ・ま(表内 )あい・あわい(あはひ)・しばら-く・しば-し・ひそ-か・うかが-う・しず-か・はざま・このごろ(漢訓)・まま・へだ-てる・まじ-わる・あずか-る・か-わる・い-える(表外)

此(ここ)+間(このごろ)=(ここ)

 

06 0957 神亀5年(728年)頃冬十一月大宰官人等奉拜香椎廟訖退歸之時馬駐于香椎浦各述懐作歌 帥大伴卿歌一首 [冬十一月、大宰の官人等の香椎の廟を拝み奉り訖(お)へて退り帰りし時に、馬を香椎の浦に駐(とど)めて各懐を述べて作れる歌帥大伴卿の歌一首

06 0957 去来兒等(ゆくこらは)香椎乃滷尓(かしひのせきに)白妙之(しろたへの)袖左倍所沾而(そでさへぬらし)朝菜採手六(あさなつみてむ)

 

『去』の字には少なくとも、去(コ)・ 去(ク)・ 去(キョ)・ 去く(ゆく)・ 去く(のぞく)・ 去る(さる)の6種の読み方が存在する。

『来』の字には少なくとも、来(ライ)・ 来し(こし)・ 来る(くる)・ 来る(きたる)・ 来す(きたす)・ 来し(きし)の6種の読み方が存在する。

去く(ゆく)+来る(くる)=(ゆく)

じ【児〔兒〕】: 若者。男子。

『滷』の字には少なくとも、滷(ロ)・ 滷(テキ)・ 滷(セキ)・ 滷(ジャク)・ 滷(シャク)・ 滷(にがり)・ 滷い(しおからい)の7種の読み方が存在する。

せき 【関】:物事をせきとめること。また、そのもの。隔て。 倍:[音]バイ、ベ(表外)(呉)ハイ(表外)(漢)[訓]かさ-ねる・ま-す(表外 )

日本語の音節には清音と濁音の別があり、現在濁音をあらわす平仮名・片仮名には濁点が付くのが約束となっている。しかし仮名には、古くは濁点が付かなかった。

所:[音]ショ(呉)ソ(漢)[訓]ところ(表内)る・ら-る・ばか-り・ところ-とする(表外) 『沾』の字には少なくとも、

沾(トン)・ 沾(テン)・ 沾(チョウ)・ 沾(ソン)・ 沾(セン)・ 沾す(うるおす)・ 沾う(うるおう)の7種だが、[字訓] うるおう・ぬれる・そえるの読み方が存在する。

『而』の字には少なくとも、而(ノウ)・ 而(ニ)・ 而(ドウ)・ 而(ジ)・ 而(なんじ)・ 而れども(しかれども)・ 而るに(しかるに)・ 而も(しかも)・ 而して(しかして)の9種の読み方が存在する。

所レ沾而→沾(ぬれる)+所(らる)+而(ジ)=(ぬらし)

あさ‐な【朝菜】: (「な」は、菜(な)と魚(な)とに通じて副食物をいう) 朝食の副食物にするもの。 

 

妻の死後、異母妹の坂上郎女も来て、落ち着きを取り戻した日々であったかもしれないが、 香椎宮(かしいぐう)は、福岡県福岡市東区香椎にある神社であり、古代には神社ではなく霊廟に位置づけられ、仲哀天皇・神功皇后の神霊を祀り「香椎廟(かしいびょう)」や「樫日廟」などと称されていた。