旅人上京

ところで、【梅花歌卅二首】(730)に後に続く歌なのだが、梅を歌ってるわけでもないし、何のための(いん‐がい)【員外】(定められた数に入らないこと)かわからないが、気にかかる旅人の歌である。

 

05 0847 員外思故郷歌兩首[員外、故郷を思へる歌両首]

05 0847 和我佐可理(わがさかり)伊多久〃多知奴(いたくくたちぬ)久毛尓得夫(くもにとぶ)久須利波武等母(くすりはむとも)麻多遠知米也母(またをちめやも)

 

くた・つ 【降つ】:(時とともに)衰えてゆく。 傾く。

くも【雲】 に 飛(と)ぶ薬(くすり): 飲むと雲にまでも飛ぶことができるという仙人の霊薬。

 

05 0848 久毛尓得夫(くもにとぶ)久須利波牟用波(くすりはむよは)美也古弥婆(みやこみば)伊夜之吉阿何微(いやしきあがみ)麻多越知奴倍之 (またをちぬべし) 

 

おそらく、旅人は、もはや寿命の尽きる日が近いことを悟り、その前にお会いしたいことを房前の心情に訴えたかもしれない。

天平2年(730年)9月には大納言・多治比池守が薨去と大官が次々と没したことから、旅人は太政官において臣下最高位となり(太政官の首班は知太政官事・舎人親王)、同年11月に大納言に任ぜられて帰京する。

05 0876 書殿餞酒日倭歌四首[書殿にして餞酒せし日の倭歌四首]

05 0876 阿麻等夫夜(あまとぶや)等利尓母賀母夜(とりにもがもや)美夜故麻提(みやこまで)意久利摩遠志弖(おくりまをして)等比可弊流母能(とびかへるもの)

05 0877 比等母祢能(ひとはみな)宇良夫礼遠留尓(うらぶれをるに)多都多夜麻(たつたやま)美麻知可豆加婆(みまちかづかば)和周良志奈牟迦(わすらしなむか)

 

『祢』の字には少なくとも、祢(ネ)・ 祢(ナイ)・ 祢(デイ)・ 祢(セン)・ 祢(みたまや)・ 祢(かたしろ)の6種の読み方が存在する。

『能』の字には少なくとも、能(ノウ)・ 能(ナイ)・ 能(ドウ)・ 能(ダイ)・ 能(タイ)・ 能(グ)・ 能(キュウ)・ 能くする(よくする)・ 能く(よく)・ 能き(はたらき)・ 能う(あたう)の11種の読み方が存在する。

祢(みたまや)+ 能(ナイ)=(みな)

うら-ぶ・る:わびしく思う。悲しみに沈む。しょんぼりする。

み‐ま【▽御馬】:美しくりっぱな馬。

 

05 0878 伊比都〃母(いひつつも)能知許曽斯良米(のちこそしらめ)等乃斯久母(たのしくも)佐夫志計米夜母(さぶしけめやも)吉美伊麻佐受斯弖(きみいまさして)

 

『等』の字には少なくとも、等(トウ)・ 等(タイ)・ 等(ら)・ 等しい(ひとしい)・ 等(など)の5種の読み方が存在する。

『受』の字には少なくとも、受(トウ)・ 受(ズ)・ 受(ジュ)・ 受(シュウ)・ 受ける(うける)・ 受かる(うかる)の6種の読み方が存在する。

『斯』の字には少なくとも、斯(ソ)・ 斯(シ)・ 斯(これ)・ 斯の(この)・ 斯く(かく)・ 斯かる(かかる)の6種の読み方が存在する。

受(シュウ)+斯(シ)=(し)

 

05 0879 余呂豆余尓(よろづよに)伊麻志多麻比提(いましたまひて)阿米能志多(あめのした)麻乎志多麻波祢(まをしたまはね)美加度佐良受弖(みかどさらずて)

 

い-ま・す 【坐す・在す】:おでかけになる。おいでになる。

さら-ず 【避らず】:避けることができないで。やむを得ず。

 

要するにお別れパーティなのだが、そこで憶良が歌っているのだが、その翌月、【敢布私懐歌】を載せている。

04 0572 大宰帥大伴卿上京之後沙弥満誓贈卿歌二首[大宰帥大伴卿の京に上りし後に、沙弥満誓の卿に贈れる歌二首]

04 0572 真十鏡(まそかがみ)見不飽君尓(みあかぬきみに)所贈哉(おくりしや)旦夕尓(あしたゆふべに)左備乍将居(さびつつをらむ )

 

まそ‐かがみ【まそ鏡】:鏡を見る意で、「見る」にかかる。

所レ贈→贈所(おくりし)

さ・ぶ 【荒ぶ・寂ぶ】:荒れた気持ちになる。

 

04 0573 野干玉之(ぬばたまの)黒髪變(くろかみかはり)白髪手裳(しらけても)痛戀庭(いたきこひには)相時有来 (あふときもくる)

 

ぬばたま-の 【射干玉の・野干玉の】

射干/野干【やかん】は、[植]ヒオウギの別称で、その種子は黒く艶があり、俗に「ぬばたま」と呼ばれている 。

『有』の字には少なくとも、有(ユウ)・ 有(ウ)・ 有つ(もつ)・ 有る(ある)の4種の読み方が存在する。

 

05 0880 敢布私懐歌三首[敢へて私の懐を布す歌三首]

05 0880 阿麻社迦留(あまざかる)比奈尓伊都等世(ひなにいつとせ)周麻比都〃(すまひつつ)美夜故能提夫利(みやこのてぶり)和周良延尓家利(わすらえにけり)

05 0881 加久能未夜(かくのみや)伊吉豆伎遠良牟(いきづきをらむ)阿良多麻能(あらたまの)吉倍由久等志乃(きへゆくとしの)可伎利斯良受提(かぎりしらずて)

05 0882 阿我農斯能(あがぬしの)美多麻〃〃比弖(みたまたまひて)波流佐良婆(はるさらば)奈良能美夜故尓(ならのみやこに)咩佐宜多麻波祢(めさぎたまはね)

 

【咩】は、[音](ビ・ミ)だが、意味が「羊が鳴く声」なので、「メー」

めさ・ぐ 【召上ぐ】:お呼びよせになる。召し出す。

 

05 0882 天平二年十二月六日 筑前國司山上憶良謹上[天平二年(730)十二月六日。筑前国司山上憶良謹みて上る]  

04 0574 大納言大伴卿和歌二首

04 0574 此間在而(ここありて)筑紫也何處(つくしやいづち)白雲乃(しらくもの)棚引山之(たなびくやまの)方西有良思(かたにしありし)

 

『此』の字には少なくとも、此(シ)・ 此(これ)・ 此(ここ)・ 此の(この)・ 此く(かく)の5種の読み方が存在する。

間:[音]ケン(呉)カン(漢)[訓]あいだ、ま(表内)あい、あわい(あはひ)、しばら-く、しば-し、ひそ-か、うかが-う、しず-か、はざま、このごろ、まま、へだ-てる、まじ-わる、あずか-る、か-わる、い-える(表外)

此(ここ)+間(このごろ)=(ここ)

『在』の字には少なくとも、在(ゼ)・ 在(ザイ)・ 在(サイ)・ 在す(まします)・ 在す(います)・ 在る(ある)の6種の読み方が存在する。

『而』の字には少なくとも、而(ノウ)・ 而(ニ)・ 而(ドウ)・ 而(ジ)・ 而(なんじ)・ 而れども(しかれども)・ 而るに(しかるに)・ 而も(しかも)・ 而して(しかして)の9種の読み方が存在する。

しか‐し‐て【▽然して/×而して】:([接]そして。それから)は多く漢文訓読文に用いられ、まさに接続助詞(て)。

いづ-ち 【何方・何処】:どこ。どの方向。

『有』の字には少なくとも、有(ユウ)・ 有(ウ)・ 有つ(もつ)・ 有る(ある)の4種の読み方が存在する。

『良』の字には少なくとも、良(ロウ)・ 良(リョウ)・ 良い(よい)・ 良(やや)の4種の読み方が存在する。

有る(ある)+良(リョウ)=(あり)

 

04 0575 草香江之(くさかえの)入江二求食(いりえにくじき)蘆鶴乃(あしたづの)痛多豆多頭思(あなたづたづし)友無二指天 (ともなしにして)

 

く‐じき【求食】: 食物を求めること。食物をほしがること。

『痛』の字には少なくとも、痛(トウ)・ 痛(ツウ)・ 痛(ツ)・ 痛める(やめる)・ 痛わしい(いたわしい)・ 痛める(いためる)・ 痛む(いたむ)・ 痛い(いたい)の8種の読み方が存在する。

たずたず・し〔たづたづし〕:《たどたどし」の古形》はっきりしなくて不安である。おぼつかない。また、心細い。

04 0577 大納言大伴卿新袍贈攝津大夫高安王歌一首[大納言大伴卿の、新しき袍を摂津大夫高安王に贈れる歌一首]

04 0577 吾衣(あがころも)人莫著曽(ひとになきせそ)網引為(あびきする)難波壮士乃(なにはをとこの)手尓者雖觸(てにはふるとも)

 

高安王は、元正朝後半から聖武朝初期にかけて順調に昇進するが、神亀6年(729年)に発生した長屋王の変以降昇進が止まり、旅人の心遣いが伝わってくる。  

03 0451 還入故郷家即作歌三首[故郷の家に還り入りて、即ち来れる歌三首]

03 0451 人毛奈吉(ひともなき)空家者(むなしきいへは)草枕(くさまくら)旅尓益而(たびにまさりて)辛苦有家里(くるしかりけり)

03 0452 与妹為而(いもとして)二作之(ふたりつくりし)吾山齋者わがささも)木高繁(こだかくしげく)成家留鴨(なりにけるかも)

 

与:[音] ヨ(呉・漢)[訓]あた-える(表内)くみ-する・・あずか-る・と・か・や・かな・とも-に・ため-に・よ-りは・むた(表外)

『妹』の字には少なくとも、妹(メ)・ 妹(マイ)・ 妹(バイ)・ 妹(いもうと)・ 妹(いも)の5種の読み方が存在する。

与レ妹→妹(いも)+与(と)=(いもと)

『山』の字には少なくとも、山(セン)・ 山(サン)・ 山(やま)の3種の読み方が存在する。 『齋』の字には少なくとも、齋(シ)・ 齋(サイ)・ 齋(ものいみ)・ 齋(とき)・ 齋む(つつしむ)・ 齋く(いつく)の6種の読み方が存在する。

 

 03 0453 吾妹子之(わぎもこが)殖之梅樹(うゑしうめのき)毎見(みるごとに)情咽都追(こころむせつつ)涕之流(なみたしながる)

06 0969 三年辛未大納言大伴卿在寧樂家思故郷歌二首[天平三(731)年辛未に大納言大伴卿の寧楽の家に在りて故郷を思へる歌二首]

06 0969 須臾(しばらくは)去而見壮鹿(ゆきてみてしか)神名火乃(かむなびの)淵者淺而(ふちはあせにて)瀬二香成良武(せにかなるらむ)

 

『須』の字には少なくとも、須(ヘン)・ 須(ハン)・ 須(ス)・ 須(シュ)・ 須める(もとめる)・ 須いる(もちいる)・ 須つ(まつ)・ 須らく…べし(すべからく…べし)・ 須く(しばらく)の9種の読み方が存在する。

『臾』の字には少なくとも、臾(ヨウ)・ 臾(ヨ)・ 臾(ユ)・ 臾(ギ)・ 臾(キ)・ 臾める(ひきとめる)・ 臾く(しばらく)の7種の読み方が存在する。

須く(しばらく)+臾く(しばらく)=(しばらく)

『壮』の字には少なくとも、壮(ソウ)・ 壮(ショウ)・ 壮ん(さかん)の3種の読み方が存在する。

ふち 【淵】:水がよどんで深くなっている所。 せ 【瀬】:川や海の浅くなっている所。また浅くて流れのはやい所にもいう。瀬。浅瀬。

 

06 0970 指進乃(さしのべな)栗栖乃小野之(くるすのをのの)芽花(はぎのはな)将落時尓之(おちむときこそ)行而手向六 (ゆきてたむけむ)

 

『指』の字には少なくとも、指(シ)・ 指(ゆび)・ 指す(さす)の3種の読み方が存在する。 進:[音]シン(呉・漢)[訓]すす-む、すす-める(表内)の-びる(表外) さし‐の・べる【差(し)伸べる/差(し)延べる】: 力を貸す。援助する。

芽子花(ガシカ):萩の別称

 

『尓』の字には少なくとも、尓(ジ)・ 尓(シ)・ 尓(ギ)・ 尓(キ)の4種の読み方が存在する。 時+尓(キ)=(とき) 『之』の字には少なくとも、之(シ)・ 之く(ゆく)・ 之(の)・ 之(これ)・ 之の(この)の5種の読み方が存在する。

ところが巻を離れて、旋頭歌【万8-1610】が歌われているのだが、旅人が感謝を込めて贈った歌に片歌に、女王が返したように思われる。 

この歌がいつ頃なのかわからないが、おそらく帰京した730年ごろであり、もはや晩年である限りにおいて、丁壮のナデシコは、まさに旅人への歓迎の歌であろう。

 

08 1610 丹生女王贈大宰帥大伴卿歌一首[丹生女王の大宰帥大伴卿に贈れる歌一首]

08 1610 高圓之(たかまとの)秋野上乃(あきののうへの)瞿麦之花(なでしこのはな)

                                       (旅人)

    丁壮香見(ていそうか)人之挿頭師(ひとのかざしし)瞿麦之花(なでしこのはな)

                                       (女王)

てい‐そう〔‐サウ〕【丁壮】:働き盛りの男性。 壮丁。

『香』の字には少なくとも、香(コウ)・ 香(キョウ)・ 香しい(かんばしい)・ 香る(かおる)・ 香り(かおり)・ 香(か)の6種の読み方が存在する。

『見』の字には少なくとも、見(ゲン)・ 見(ケン)・ 見(カン)・ 見る(みる)・ 見せる(みせる)・ 見える(みえる)・ 見える(まみえる)・ 見れる(あらわれる)の8種の読み方が存在する。

 香(か)+見(カン)=(か) 

 

要するにこの歌は、上三句・下三句の旋頭歌であり、旅人と女王の片歌の問答と言うことになろうか?

06 0979 大伴坂上郎女与姪家持従佐保還歸西宅歌一首[大伴坂上郎女の、姪家持(12)の佐保より西の宅に還帰るに与へたる歌一首]

 

姪:[音]ジチ、デチ(呉) チツ、テツ(漢)[訓]めい[稀]おい(漢文の訓読時のみ)

 

06 0979 吾背子我(わがせこが)著衣薄(きころもうすき)佐保風者(さほかぜも)疾莫吹(はやくなふきそ)及家左右 (いへまでおよべ)

 

06 0981 大伴坂上郎女月歌三首

06 0981 獵高乃(かりたかの)高圓山乎(たかまとやまを)高弥鴨(たかみかも)出来月乃(いでくるつきの)遅将光 (おそくてるらむ )

06 0982 烏玉乃(ぬばたまの)夜霧立而(よぎりのたちて)不清(おほほしく)照有月夜乃(てるもつくよの)見者悲沙 (みるもかなしさ)

06 0983 山葉(やまのはの)左佐良榎壮子(ささらえをとこ)天原(あまのはら)門度光(とわたるひかり)見良久之好藻(みらくしよしも)

 

ささら‐えおとこ〔‐えをとこ〕【▽細▽愛壮=子】:《小さくて愛らしい男の意》月の異称。つくよみおとこ。

 

06 0983 右一首歌或云 月別名曰佐散良衣壮士也 縁此辞作此歌 [右の一首の歌は、或は云はく「月の別の名をささらえ男といふ、この辞に縁りてこの歌を作れり」といへり]

 

丹生女王は、「丁壮香見を瞿麦之花」と旅人を例えたのだが、大伴坂上郎女は、「月の佐散良衣壮士」と歌うのは、旅人の帰郷に、とりわけ歌人たちにおいては、誰もが安堵したのかもしれない。